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生きる楽しみを

2015年も最後の日となった。

今年も全国の多くの学校や生涯学習の場で講演する機会を戴き、約2万人の青少年、大人たちに思いを伝えることができた。
講演後、今年はとくに声をかけてくれたり、メールをくれる生徒たちの数も増え、たくさんのいじめに関わる思いを聞くことができた。

 

「毎日が嫌で嫌で、死ぬことも考えていました」
講演後届いた中学1年生の女子からの感想文。

 

「何度も死んでみたらどうだろうと思っていた。いじめを恐れて人は変わってしまう」
講演後の中学3年生の男子からのメール。

 

「彼らに生きろって!死ぬなって言ってください」
和歌山県での講演後、僕の手を握りしめながら言った60歳くらいの女性の言葉。

 

今年の講演で最も心に残っている言葉です。

 

■生きている楽しみって。

非正規社員の未来、年金受給の減額、下流老人という言葉・・。
今年の報道では未来の不安を伝えるニュースが増えた。
見えない未来に対して大人たちが生きる楽しみを見失っているように映る。

一体生きる楽しみってなんだろうか。

もしも未来を心配して思い煩っていた今日があるならば、今日の幸せは一体どこへいくのだろうか。
今日の、この1日の楽しみを感じることができないのであれば、「今日」が積み重なっている未来を果たして楽しむことができるのだろうか。
与えられた今を、この現状の中でいかに最善な楽しみ方を見つけることが大切だと私は思う。

 

■「与えられる」楽しみではなく、「冒険する」楽しみを。

毎日のちょっとしたことで生きる楽しみは広がっていける。

例えば、大好きな音楽を聴きながら、公園に出かけて見ると、ちょうど夕暮れ時の空と音楽がいい雰囲気で、感動のBGMになっていたり、入ったことがなかった中華料理屋に思い切って入ってみると、餃子がこだわりの手作りでとても美味しく安かったり、前から気になっていた物を思い切って買ってみたところ、想像以上に素晴らしく、いつもの日常に明るみを持たせてくれたり・・。ちょっとした「冒険」をすることで得られる「発見」が生きる楽しみに変わっていく。

日常の「冒険家」になってほしい。

明日から新しい1日が始まる。

2016年は今できる最善の楽しみを一緒に探して行こう。