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登天ポールの「自殺反対、いじめ撲滅」キャンペーン全国行脚 

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POSTED DATE : 2025年6月18日

2025年6月13日 大阪府/豊中市立寺内小学校

豊中市は大阪府北部の豊能地域にあり、大阪市、堺市、東大阪市に次いで府内第4位の約40万人の人口がいます。市内にある服部緑地の東側を校区としている寺内小学校45分講演です。

体育館には4年生から6年生まで277名の児童たちが集まってくれていました。

オープニングではマウンテンソングの歌詞を口ずさんでいる子供たちもいました。

アコースティックギターのメロディーちゃんを紹介すると拍手が起こり、日本一周へ旅立つ思いを歌った弾き語りソング「WE CAN GO」では自然と手拍子が起こりました。

全国行脚の写真やいじめられっ子の想いを歌や語りで伝え、いじめを見たら、周りの先生や親に伝え、大丈夫か?と声をかけたりしてねと、一歩行動する勇気を伝えました。

最後はマウンテンソング。

みんなでいじめのない未来を目指して歌い、踊りました。

みんな感想文もありがとマウンテン。

これからも仲良しマウンテンで

素晴らしい思い出を作ってくださいね♪

いつも心にマウンテンやで~☆

POSTED DATE : 2025年6月13日

2025年6月2日 長野県/長野市立篠ノ井東中学校

長野市立篠ノ井東中学校80分講演です。

訪れた時はちょうどお昼を終えて掃除の時間帯でした。

生徒たちは静かに黙々と床や机をきれいにしていて、そのまなざしは職人のようでした。

人権担当のK先生にその様子を聞くと、毎日の清掃活動を、一人になって自分自身と向き合う時間と位置づけていて、ただひたすらに目の前の汚れと向き合うことで、結果として無言になる・・・そんな清掃を目指しているとこのとでした。

「掃除は自分の心を磨くこと」

いきなり感動してしまいました。

講演会では活動のきっかけとなった阪神淡路大震災の話をしました。

行きたくても生きることができない6434人の命があったこと。

被災地で出会ったおっちゃんが「悲惨な時こそ笑い飛ばせ」と励ましてくれたこと。

命と向き合わされた経験が僕を突き動かしていたことを丁寧に話していきました。

麻布中学校のドラえもんの問題を例に出して、人間とロボットとの違いをみんなに聞きました。

発表してくれた生徒たちは、しっかりとそれぞれの考えを僕に伝えてくれました。

繋がってきた命、だれも代わることができないたった一つの命を、お互いにこれからも大切してほしいと願い、最後はしあわせマウンテンをめざしてマウンテンソングを歌い、踊りました。

この人生のどこかでまた、出逢えることを楽しみにしています。

いつも心にマウンテン

POSTED DATE : 2025年2月27日

2025年2月23日 香川県/高松市人権教育研修会

毎年恒例となった高松市の人権教育研修会30分講演です。

この日は2月最終週ということで、いじめ反対を訴える運動、「ピンクシャツデー」に合わせてピンク色の服や小物を身に着けて参加しました。ピンクシャツデーは、いじめ反対を訴える運動で、ピンク色の服や小物を身につけることで、いじめをなくすための意思表示を表明する日です。2007年にカナダで始まり、約180の国や地域に広がり世界的キャンペーンの一つとなっています。

この日はいじめ反対を歌った楽曲「WE ARE THE FAMILY」のコーラスを録音しました。

いじめで悩む子供たちに届くように参加者全員思いを込めて歌いました。

近日中にアレンジを加えてリリースできるようにしたいと思っています。

全国の学校で児童や生徒たちが歌ってくれるように、またピンクシャツデーで世界中で歌われ続けるようないじめ反対の歌になりますように頑張りたいと思います。

参加者の皆様も楽しみにしていてください。

POSTED DATE : 2025年1月17日

阪神淡路大震災から30年

あれから30年。
黙祷を捧げようと初めて震災の集いに参加しました。
始発なのに満席。
通勤ラッシュかのように朝の5時の三宮はたくさんの人で溢れかえっていました。
会場となった東遊園地は1.17の数字と今年の言葉寄り添うが約7000本のろうそくで作られていました。
地震があった5時46分。その20秒前から会場に時報が流されました。
『まもなく5時46分をお知らせします、ピピピ、ピーン』

黙祷と言う言葉が鳴り響き約7万5千人が一斉に黙祷を捧げました。


亡くなった6434人の思い・・・悲しみ、苦しみ、やるせなさ、無念、そんな一人ひとりの思いを巡らせてみるけど心がいっぱいいっぱいになって、もう普通の感情ではいられなくなっていました。中には家族がなくなった人もいるだろう。たくさんの悲しみを乗り越えてきた人たちの祈り、60秒を待たずに涙が溢れてきました。

澄み切った1月の寒空の中で伝わってくる人々の思い。

ただただ平凡な明日が続いていってほしいと願う思い。


こんなに人々がみんな平和へと込めたら、人をいじめたり戦争したり、そんなことがなくなるんだろうと心から思いました。

POSTED DATE : 2024年10月5日

素敵な絵をありがとう

IY君へ

久しぶりのお手紙ありがとう。

兵庫県の小学校講演会で知り合ってから8年くらい経つかな。

社会人になっての苦労の話も心に響いたよ。

しっかりと返信のお手紙書くからね。

何があっても、いつも心にマウンテンやで!

POSTED DATE : 2024年7月2日

旭川 女子中学生死亡“いじめが原因の自殺”認定

『旭川市の中学2年生だった廣瀬爽彩さん(当時14)は3年前の2021年3月、雪の積もった市内の公園で死亡しているのが見つかり、その後、いじめがあったことが認定されました。

しかし、市教育委員会の第三者委員会による調査では、死亡したことといじめとの関係性が明らかにならなかったことから、遺族の求めで新たに再調査委員会が設けられ調査が続けられてきました。

また当時、中学校はいじめではなく加害生徒による問題行動とだけ捉えて女子生徒への適切な対応を怠ったほか、市教育委員会も学校への指導や助言を怠っていたと指摘しました。

一方、女子生徒が亡くなったことについては「いじめ被害が過去のものとならず、継続して苦しみ、死を決意した」などとして自殺だったという見解を示し、死亡したことといじめとの関係性を初めて認めました。

その上で、女子生徒がPTSD=心的外傷後ストレス障害を発症し自殺に至るまでトラウマに苦しみ自尊感情の著しい低下なども続いたと指摘し、「いじめにあわなければ自殺は起こらなかった」と結論づけました。』(2024.6.30NHK記事より抜粋)

さあやさんがなくなってからいじめが認められる今日まで、この約3年3か月という期間がかかった。

本来子どもたちへの対応のプロフェッショナルな立場である教育者たちが、これはいじめ、これはいじめじゃない、と3年3か月もかけて議論すべきものだろうか。

いまだに日本のいじめ問題への対応の稚拙さを浮き彫りにしたと思う。

さあやさんのご家族の皆様へ心よりご冥福をお祈り申し上げます。

今後もこんな悲しいことがないように、微力ながらも、一人でも多くの子どもたちにいじめ撲滅・自殺反対への思いを伝えていきたいと思う。

POSTED DATE : 2024年4月6日

2024年3月17日 能登半島地震被災地へ04

寒さが残る3月午前の奥能登、輪島。

三井小学校正門玄関前特設ステージは多くの人々によって囲まれていた。

卒業生や保護者の方々をはじめ先生方や関係者の皆様が手拍子を送りながら僕を待ってくれていた。

まずは皆様へ向けて深く一礼をした。

この震災で無事卒業式を迎えることができておめでとうという気持ちとこのセレモニーに呼んでくれた感謝の気持ち、そして音響の不具合によりお待たせして申し訳なかった気持ちとが混ざり合った一礼だった。

一曲目は新曲「welcome to MUSIC」と決めていた。

この約2か月半の被災生活、老若男女問わず皆生きるために必死だったことだろう。

特に輪島地区は大火災、津波、いまだに水道が通っていない現状があり、心身はもちろんのこと五感も疲弊していることだろう。あたらめて音楽の力でこの茶色と灰色の世界をカラフルに彩ることができたらなという思いがあった。

welcome to MUSIC

立ち止まらないで そのまま

welcome to MUSIC

自分のメロディー 歌うのさ

愛も 孤独も 飲み込んだくやしさも Change to your song!

すべては美しい旋律となって あなただけのプレミアムメロディー

約20分間のステージが終わった。

後ろで見てくれていた年配者の方々も、最後まで手拍子をしてくれた。

終始アットホームな雰囲気に感じたのは、夏祭りで知ってくれていたことだけではなく、僕の両親も奥能登出身でこの細胞ひとつひとつがmade in 奥能登だということもあったように思う。

終わった後、卒業生児童たちが僕に駆け寄ってきてサインを求めてくれた。

「ここに書いてほしいです」

記念品だろうか。一人の卒業生がおろしたてのTシャツを持ってきて、胸の正面に書いてほしいと言うのだ。後で後悔しないだろうかと思ったが、大切にしてよと勢いのまま大きく書いてみせた。それを見た他の卒業生も続くようにTシャツを持ってきた。

片づけをしていると、卒業生たちがまた来てくれた。

なんとみんなが先ほど書いたばかりのサイン入りTシャツに着替えているではないか。

正門特設ステージでみんな並んで一緒に記念写真を撮った。

写真の中の僕たちはこれまでのことをすべて忘れさせてくれるほど眩しい笑顔だった。

POSTED DATE : 2024年1月11日

両親が能登出身

両親が能登出身です。
父は能登町、母は穴水町出身。奥能登の者同士、お見合い結婚をしました。
その後、仕事で父母は神戸へ。三人の子を産みました。
毎年、お盆と正月に能登へ帰っていました。
神戸~能登の約500キロの道のりを、家族5人、狭いセダンの車で兄弟げんかをしながら、祖父母がいる実家へと帰っていました。
夏はカブトムシ、冬は雪合戦、能登の田舎に帰って遊べる喜び半分、渋滞や大雪による交通規制、移動時間の長さなどで嫌な気分半分。

どんなときも父は父は子を連れて能登へ帰ることをしました。

おかげで、能登は僕のふるさとです。
2024年1月1日午後4時10分も僕は能登にいました。
家族で外へ買い物に出かけていたので、実家にはおらず命は助かりました。
現在も母は兄のいる野々市市へ避難生活をしています。
実家が今どんな状況なのか、まだ帰れていなのでわかりませんが、ただただ、今生きている現実こそが奇跡という実感です。
現在、まだ安否確認ができていない人々や避難生活を送っている能登地方のすべての方々へ、少しでもよいニュースが届くように祈っています。
捜索活動してくれている皆様、ボランティア、政府の皆様すべてに感謝します。
落ち着いたら、微力ですが自分ができる範囲でチャリティー活動を行いたいと思います。

心は能登に。

いつも心にマウンテン

POSTED DATE : 2023年12月24日

サンタクロースはいるんでしょうか?

サンタクロースはいるんでしょうか?

今から120年ほど前、のアメリカの新聞「ニューヨーク・サン」へ8歳の女の子から「サンタはいるんでしょうか?」との投書がありました。

この可愛らしい問いかけに、論説委員のフランシス・チャーチ(Francis Church/1839-1906)氏は、1897年9月21日付の社説の中で、優しく丁寧に答えを示しました。

「Yes, Virginia, there is a Santa Claus.」
(そうだよ、バージニア。サンタクロースはいるんだよ。)

このフレーズは、海外では、現在

「信じられないかもしれないが、確かに存在している」

という意味でも使わているそうです。

「人への思いやり、まごころ、愛が存在するのと同じように、サンタクロースは存在するのです」。

本を買っている人もいると思います。

目に見えなくとも存在するものはこの世にはいくらでもある、

そしてそういったものほど本当であり、いつまでも変わらないものだという普遍の真理を、

フランシス・チャーチは教えてくれました。

世界中で語り継がれているこの言葉と物語は、

私達に目に見えないものの大切さを教え、

夢と希望を与え続けてくれているのだと思います。

目に見えないものの大切さを教えてくれる日だと思います。

クリスマスプレゼントを開けるってことは、その人の心を開けることだと思う。

喜んでくれるかなという心、笑顔になってほしいという気持ち、大切に使って、いつも私を思い出してほしいという願いを

受け取ってほしいな。

それは目には見えないこと。

サンタクロースみたいなことだと思います。=温かい気持ち、思いやりの心、

誰もがサンタクロースなんだと思います。

今日は目に見えない大切なこと、そんな話をしたいと思っています。

その前に、、

いじめ撲滅全国行脚が終わって3年後の出来事です。

僕は☆さんという人とふたりでいじめ撲滅全国行脚を約1年かけてしました。

そしてその後も、東京を中心に活動をしていました。

僕たちはふたりとも、いつも心にマウンテン、自殺反対、いじめ撲滅の思いだけを必死で頑張りました。しかし僕たちの思いとは別になかなかこの活動は広がりません。

頑張ってきて頑張ってきても報われませんでした。

でも約10年近く共にやってきた星さんがある日、

「ポール、これからやっていけるのかな。ちょと僕は一度活動から手を引いて別の道をやっていこうと思う」

その時の表情を今でも忘れることはできないです。

全国行脚したことはなんやったんやろう、

あんなに熱い思いでここまで二人で頑張ってきたのに、

こんなことで途切れてええんやろか、

星さんは牧師になり、

僕はこの先ひとりでどうすればいいのかなと迷っていました。

行くべきか、もうやめるべきか。

でも、こんなことで途切れてええんやろか、

ひょっとしたら今こうしている時でも、僕以上悩んでいるひと、そしてひょっとしたらいじめられて苦しんでいる人がいるかもしれない、

そんなことを思った時に、僕は原付で登り竿をおしりで挟み、スピーカーを足元に乗せて、衣装のまま杉並区のアパートから井之頭通りを走り、渋谷の宮下公園へ向かっていました。

元気マウンテンで行こう!!

渋谷の街はクリスマスで華やいでいました。

カップルで溢れ、みんな幸せなんかな~と思った。

渋谷の宮下公園に立つと、懐かしいな、久々やな~、不思議な物で一瞬にして、路上パフォーマーとしての感覚が蘇りました。

しかし、毎週末ここで訴えていたなんて、当然誰も知る由もなく、人々は変な眼差しで苦笑し通り過ぎていきます。

歌いながら、今日はこの曲で最後にしようか、、そう思った時でした。

ひとりの女性がお札をカンパしてくれているではないですか!!!

彼女は三年前の今日、ここで出会った女性でした。

「いつもここを通ると思い出すのよ。まさか今日いるなんて・・。逢えてよかった」

そういって財布を出して5千円カンパをしてくれました。

「きっとあなたの声を聞いて、元気になっている人がどこかにいるから、これからも負けず頑張ってね。今日はクリスマス、メリークリスマス!」

と言って去っていきました。

今日いくかどうか、やめようと思っていた自分、クリスマスということで、恥ずかしがっていた自分、星さんもいないし、いろんな理由をつけて、迷っていたのですが、

彼女と出逢って、吹っ切れたんですね。

応援してくれている人がいる、見てくれている人がいる、

僕は一人じゃなかったんだ。ということを知った瞬間でした。

日も暮れだした渋谷の街、肩を寄せ合うカップルの横目にイルミネーションが輝く街に響かせるように、また力づよくマウンテンソングを歌い始めました。

彼女は僕にとってのサンタクロースでした。

きっとサンタクロースっているんだと思います。

では、素晴らしいクリスマスを。