2024年3月17日 能登半島地震被災地へ02
今日は日曜日というのに、輪島市の街中は人通りがほとんどなかった。あんなにぎわっていた観光地のイメージしかなく、その時点で違和感を感じていたが、道路にはみ出すように倒壊した家々がここが能登半島地震の被災地ということをまざまざと見せつけ人々を寄せ付けないオーラを放っていた。
大好きだった輪島朝市のメイン通りは、まるで爆弾が落とされたように焦げ茶色の瓦礫の世界に変わっていた。
何度かテレビでは見ていたが、実際に目の前にした光景と少し鉄くずが焼けたような匂いに圧倒されて体が反応しきれていない。
何分か立ち尽くした後、奥能登の冷たい風を感じて、ようやく足を前に出した。
大好きだった永井豪記念館はどの辺りだったか…
おそらくこの辺りにあったと思われる場所に、焼け焦げた看板に「永井…」の文字が見えた。
約10年前の夏の夜、永井豪記念館の前でライブした思い出がよぎる。
みんなで歌い、踊った、蒸し暑いあの輪島の夜の光景が、今はもうなくなったんだと、目の前にはもうない現実を受け止め、初めて悲しさを嚙み締めた。
大阪から同行した友人の山本君も、同じく言葉を失っていた。
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