2024年3月17日 能登半島地震被災地へ03
輪島市立三井小学校の卒業記念セレモニーは午前中に行われる。
セレモニーの会場となる体育館は震災の影響で使用できず教室となり、僕のステージは正門玄関前でお願いしますとなった。しかしなにやら進入禁止のコーンが置かれている。右側半分に校舎の壁が剥がれ落ち、コンクリートの塊がまだ撤去されず残っている状態だった。
『みんな僕のことを覚えてくれているかな~』
僕は卒業生たちが正門で記念撮影するために出てきたタイミングで、サプライズで登場し歌いだすといった流れだった。
近年コロナの影響で、毎年恒例となっていた夏まつり「三井の里フェスティバル」に参加できず不安になかったが、今は卒業式の晴れ舞台に花を添えることができるように一生懸命にパフォーマンスすることだけに集中しリハーサルを始めた。
控室となった放送室で衣装に着替えた僕は、ドキドキしながらその時を待っていた。
廊下から卒業生の声が聞こえた。
しかし、数分たってもなぜだか一向にお呼びがかからない。バレないようにそっと廊下へ出て、正門の外を覗いてみると、音響担当の山本君がなにやらそわそわしているではないか。
あれだけリハーサルしたスピーカーから音が鳴らなかった。
出ていきたい衝動を抑え、もう少し我慢して待っていると、もう山本君の顔がまるで冬の日本海のように荒れ、白波が立ち、次第に青ざめていく様子が見てわかった。しかもこともあろうか、しびれを切らした学校関係者が「と、と、とうてんポール、来てます!この後登場します!」とシャウトしているではないか。
『終わった・・・』
神戸から輪島まで約500キロ。
三井小学校卒業生たちがまさかと驚き、歌いだすと同時に喜ぶ顔を夢見て、ただひたすら真夜中の名神・北陸高速道路を飛ばしてきたシーンが走馬灯のように浮かんでいた。
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