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2024年3月17日 能登半島地震被災地へ(完)

能登鉄道の穴水駅前に「さわやか交流館プルート」がある。
震災前は図書館や交流スペースなど多目的な広場でにぎわっていたが、震災後は大規模避難所として今もな多くの人たちが避難生活をしている。

神戸を出発する前からプルート館長と連絡を取り、慰問コンサートの日程を調整していたので、ホワイトボードにはしっかりと登天ポールの文字か書かれていた。

館内アナウンスが鳴り響く。


「本日登天ポールさんによる歌と踊りのパフォーマンスがあります。ぜひ一階までお集まりください。」

後ろから70歳くらいの男性が話しかけてきた。

よく見ると親戚のおじさん、いとこのやっちゃんの父だった。

「まだがんばっとったんけ?」

「は、はい。おじさんこそご無事でなりよりです。ここに避難してたんですね」

地元の布団屋だったおじの家は一階がなくなる形で全壊した。やっちゃんから聞いていたが、地震の5分前までその家の中にいてトイレをしていたらしいので、まさに危機一髪で難を逃れた。

「生かされた命だったなわいね」

そう言ってニタッと笑った顔は、少年時代に見たときの笑顔のままだったので少し安心した。

コンサートはギターの弾き語りから始めた。

昭和の名曲、美空ひばり「川の流れのように」をみんなで一緒に歌った。

♪~知らず知らず歩いてきた細く長いこの道~ 

でこぼこ道や 曲がりくねった道~

地図さえない それもまた人生~♪ 

なんだろう、この感情は…

まだサビに入っていないのに涙が溢れそうになった。

参加のみなさんも同じような表情に見えた。

それは秋元康さんの歌詞があまりにも被災者の心境と重なり、Amのメロディーと一緒に心に伝わった。歌が心の傷を洗い流してくれているように感じた。

改めて音楽の力はすごいなと感じた瞬間だった。

その後、森山直太朗「さくら(独奏)」や千昌夫「北国の春」など季節や場所にちなんだ曲を歌い、僕はマウンテンソングを歌い踊った。

最後はみんなでマウンテンポーズをした。

しあわせマウンテンをめざして一日でも早い復興を願った。

               NOTO ,NOT ALONE.

最後に館長にあいさつに行くと、受付台に貼ってある張り紙に目が留まった。

いいゴロ合わせだなと感心しつつ、時が流れても忘れてはならないともう一度心に呟いた。

PS.ここまで見てくれてありがとマウンテン。最後の写真は全国からボランティアに駆け付けた仲間たちとマウンテンポーズ。皆様ぜひ能登を忘れないでください。よろしくマウンテン!

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