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登天ポールの「自殺反対、いじめ撲滅」キャンペーン全国行脚 

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POSTED DATE : 2024年12月20日

高松市立勝賀中学校/スマイルつなげ隊より色紙が届きました

勝賀中学校のスマイルつなげ隊からお礼の色紙が届きました。

人権同和教育主任の渕先生よりお手紙も入ってました。

『この度は遠方より勝賀中学校までお越し下さり、ありがとうございました。

「人権」と聞くと教員も生徒も真剣な表情になり、かたい雰囲気になりがちですが、

人権について考えるって楽しくてあたたかいものなんだと思える講演でした。

スマイルつなぎ隊が感謝の気持ちを伝えたいという事だったので、色紙の寄せ書きを同封させて頂きました。

ご一読頂ければ幸いです。』

渕先生、ご丁寧にありがとうございます。

ひとりひとりのメッセージを読んでいくと、涙があふれてきました。

僕の方が元気や勇気をもらっていたんだと気づいたからです。

みんなありがとマウンテンやで、ほんと。

またどこかで逢えること楽しみにしています。

その時はまた一緒にマウンテンポーズで繋ごうぜ、スマイルを。

POSTED DATE : 2024年12月14日

2024年12月13日 滋賀県/びわこ成蹊スポーツ大学

びわこ成蹊スポーツ大学は、滋賀県大津市北比良にある琵琶湖の西岸に位置する日本の私立大学です。数多くの有名スポーツ選手を輩出しております。

前期の講義に続き、今回も作家、スポーツジャーナリストでもある大学教授の城島充先生から依頼を頂き、「メディアリテラシー」講義のゲストティーチャーとして参加させて頂きました。

内容は城島先生との対談方式で、いじめ撲滅をパフォーマンスで訴え続けている思いや大切にしていることなどを学生たちに質問してもらったりしました。

合間にギターの弾き語りを交えながら思いを届けました。
特に自殺反対の歌として作詞作曲した「chan chan chance」はアコースティックで全く雰囲気が変わるので、感動してくれました。

マウンテンソングとは一味違うので、ぜひ聴いてください♪
ちょっぴりでも元気が出たらうれしいです☆

POSTED DATE : 2024年12月5日

2024年12月4日 香川県/高松市立勝賀中学校

高松市北西部の郊外地域に位置する勝賀中学校70分講演です。

体育館いっぱいに約700名の生徒たちが集まっていました。

僕の出番の前に全校人権集会があり、各学年団の発表がありました。

1年団はハンセン病学習や人権作文弁論

2年団は職場体験を通して「気づいた」人権

3年団は力強い人権宣言や就職差別について

の発表でした。

最初思ったことは、どの学年団も堂々としていて、しっかりと準備や練習をしてきたこと、話し方や声のトーンまでも意識して、びっくりしたと同時にとても素晴らしく思いました。

果たしてこの後の僕の講演は彼らの頑張りに応えることができるだろうか…

そう思ったら緊張してきたので、あまり力まずにもう一度自分がやってきたこと、今の気持ちを臨場感をもってしっかりと伝えていこうと思いました。

70分の間にギターの弾き語り曲を6曲交え、いじめ撲滅の思いを伝えていきました。

講演後の生徒代表のあいさつが、心に響きました。

『自分も嫌な時、ここから逃げ出したいと思ったこともあったけど、今日の講演や歌を聞いて頑張って生きていこうと思った』

写真のマウンテンはスマイルつなげ隊と記念にマウンテンポーズ。

これからも勝賀中のみんなの笑顔を集めてつなげていってください。

 いつも心にマウンテン

POSTED DATE : 2024年11月17日

2024年11月11日 長野県/長野市立中条中学校

長野県長野市立中条中学校、中条小中学校地区PTA人権講演会60分講演です。

中条中学校は長野市内から西へ一の時間ほど走った山間にあり、来年3月で閉校となります。

記念講演となるように声をかけて頂きました。

全校生徒約20人と保護者やPTAの皆様方が暖かく迎えてくれました。

お昼休み等でマウンテンソングのCDも流してくれていたみたいで、僕の登場を楽しみにしてくれていました。

手拍子が終わると、前列に座った中条中生の一人ひとりと顔を合わせながら、僕のここまでの活動をゆっくりと語り始めました。

来年閉校となる学び舎の中で今どんな気持ちで過ごしているのか、少なくともこの時間を中条中学校での大切な思い出の1ページになるようにと思いを込めて、ギターの弾き語りを歌いました。

最後は生徒、保護者の皆様も巻き込んでマウンテンソング。

新たな学び舎でもここでの思い出を忘れずに、つらいことがあったらこの歌を思い出して、

マウンテンポーズでもしながら笑い飛ばして、笑顔になるようにそんな願いを込めて

一緒に歌い、踊り合いました。

POSTED DATE : 2024年10月5日

素敵な絵をありがとう

IY君へ

久しぶりのお手紙ありがとう。

兵庫県の小学校講演会で知り合ってから8年くらい経つかな。

社会人になっての苦労の話も心に響いたよ。

しっかりと返信のお手紙書くからね。

何があっても、いつも心にマウンテンやで!

POSTED DATE : 2024年7月11日

2024年7月5日 滋賀県/びわこ成蹊スポーツ大学

びわこ成蹊スポーツ大学は、滋賀県大津市北比良にある琵琶湖の西岸に位置する日本の私立大学です。数多くの有名スポーツ選手を輩出しており、サッカーでは8年連続Jリーガーが誕生しています。

作家、スポーツジャーナリストでもある大学教授の城島充先生とは2012年、日本青年会議所の「人間力大賞」を受賞時、インタビューを受けて以来の付き合いです。

今回、彼の講義「メディアリテラシー」にゲストティーチャーとして参加させて頂きました。

びわスポ大生は僕のHPやブログ等で、歌や活動を事前学習してくれて、質問も考えてくれていました。

・活動のきっかけは?

・いじめ撲滅活動へのゴールは?

・人生で一番大切にしていることは?

・僕たちと同じ年の時、どんな人間でしたか?

など、小中学生とは一味も二味も違う、エッジのある質問をしてくれてました。

今回のレポートの課題(宿題)は僕の応援ソング「chan chan chance」を聴いて感じたことという内容でした。城島先生がマウンテンソング以上に最近聴いてくれていたので、今回の課題となりました。城島さんいわく

「ポールさん、チャンチャンチャンスはいろんな壁にぶつかって苦しんでる人たちにとっては最高のメッセージソングですよ。NHKのみんなのうたーとかに採用されてもいいと思いますよ」

今まで意識していなかった分、城島先生からの褒め言葉は心に響きました。

せっかくの機会なのでミニギターの弾き語りで聴いてもらいました。

以下はその後のLINEでのやり取りです。

「おはようございます。
みんな自分の人生に落とし込んで考えてくれている。
そしてこれからもそのチャンスを生かして成長しようとしている。
本当にみんなの感受性や、城島先生の着眼点に感謝です。
より一層、この曲を今後も大切に歌い続けていこうと思います。
私もほんと、何度も目頭が熱くなりました。
後期、また素晴らしい機会をいただけることを楽しみにしております。」

「いやあ、ちょっと僕もうるっとなるぐらい、みんながポールさんのメッセージをしっかり受け止めてくれたんだと思います。今回は急なオファーで申し訳ありませんでしたが、学生たちにとって最高の授業になったと思います。」

次回は後期、また素晴らしい学生たちに逢えることを楽しみにしています。

POSTED DATE : 2024年7月2日

旭川 女子中学生死亡“いじめが原因の自殺”認定

『旭川市の中学2年生だった廣瀬爽彩さん(当時14)は3年前の2021年3月、雪の積もった市内の公園で死亡しているのが見つかり、その後、いじめがあったことが認定されました。

しかし、市教育委員会の第三者委員会による調査では、死亡したことといじめとの関係性が明らかにならなかったことから、遺族の求めで新たに再調査委員会が設けられ調査が続けられてきました。

また当時、中学校はいじめではなく加害生徒による問題行動とだけ捉えて女子生徒への適切な対応を怠ったほか、市教育委員会も学校への指導や助言を怠っていたと指摘しました。

一方、女子生徒が亡くなったことについては「いじめ被害が過去のものとならず、継続して苦しみ、死を決意した」などとして自殺だったという見解を示し、死亡したことといじめとの関係性を初めて認めました。

その上で、女子生徒がPTSD=心的外傷後ストレス障害を発症し自殺に至るまでトラウマに苦しみ自尊感情の著しい低下なども続いたと指摘し、「いじめにあわなければ自殺は起こらなかった」と結論づけました。』(2024.6.30NHK記事より抜粋)

さあやさんがなくなってからいじめが認められる今日まで、この約3年3か月という期間がかかった。

本来子どもたちへの対応のプロフェッショナルな立場である教育者たちが、これはいじめ、これはいじめじゃない、と3年3か月もかけて議論すべきものだろうか。

いまだに日本のいじめ問題への対応の稚拙さを浮き彫りにしたと思う。

さあやさんのご家族の皆様へ心よりご冥福をお祈り申し上げます。

今後もこんな悲しいことがないように、微力ながらも、一人でも多くの子どもたちにいじめ撲滅・自殺反対への思いを伝えていきたいと思う。

POSTED DATE : 2024年5月22日

2024年5月21日 大阪府/豊中市立克明小学校

豊中市立克明小学校4年生(60人)90分講演です。

豊中市では平成25年(2013年)に子ども健やか育み条例をつくり、子どもの人権を大切にしながら、子どもがまわりの人から愛され、自分らしく健やかに育つことのできるまちをめざしています。その一環として出前講座の講師として今回訪れました。克明小学校では毎年声をかけてくださりありがとマウンテンです♪(以下は克明小学校HPより抜粋

登天とうてんポールさんは、写真しゃしんのように社会しゃかいからいじめの事象じしょうがなくなるようにというメッセージをうたにして、7かげつかけて47都道府県とどうふけん全国ぜんこく行脚あんぎゃされたかたです。途中とちゅう石川県いしかわけんで、学校がっこうどもたちにかせてもらえないかと依頼いらいけたことが、がっこうでの出前でまえ授業じゅぎょうのきっかけだったそうです。

5がつ21にち、4年生ねんせいどもたちが「登天とうてんポール」さんの出前でまえ授業じゅぎょうけました。

全国ぜんこくたびしてまわったときの心温こころあたたまるエピソードもかせていただきました。

登天とうてんポールさんのおもいがこころひびいてくるうたは、自然しぜんどもたちから手拍子てびょうしました。うたいたあと、みんなはほっこり笑顔えがおになっていました。

本校ほんこうでは、ここのところ4年生ねんせい毎年まいとし登天とうてんポールさんの出前でまえ授業じゅぎょうけているとのこと。来年らいねんもまたよろしくおねがいします、現在げんざい3ねんせいみなさん、来年らいねんたのしみにしていてほしいです。

みんなでおどった!

みんないっしょに「マウンテンポーズ」

まりましたね!

POSTED DATE : 2024年4月16日

2024年3月17日 能登半島地震被災地へ(完)

能登鉄道の穴水駅前に「さわやか交流館プルート」がある。
震災前は図書館や交流スペースなど多目的な広場でにぎわっていたが、震災後は大規模避難所として今もな多くの人たちが避難生活をしている。

神戸を出発する前からプルート館長と連絡を取り、慰問コンサートの日程を調整していたので、ホワイトボードにはしっかりと登天ポールの文字か書かれていた。

館内アナウンスが鳴り響く。


「本日登天ポールさんによる歌と踊りのパフォーマンスがあります。ぜひ一階までお集まりください。」

後ろから70歳くらいの男性が話しかけてきた。

よく見ると親戚のおじさん、いとこのやっちゃんの父だった。

「まだがんばっとったんけ?」

「は、はい。おじさんこそご無事でなりよりです。ここに避難してたんですね」

地元の布団屋だったおじの家は一階がなくなる形で全壊した。やっちゃんから聞いていたが、地震の5分前までその家の中にいてトイレをしていたらしいので、まさに危機一髪で難を逃れた。

「生かされた命だったなわいね」

そう言ってニタッと笑った顔は、少年時代に見たときの笑顔のままだったので少し安心した。

コンサートはギターの弾き語りから始めた。

昭和の名曲、美空ひばり「川の流れのように」をみんなで一緒に歌った。

♪~知らず知らず歩いてきた細く長いこの道~ 

でこぼこ道や 曲がりくねった道~

地図さえない それもまた人生~♪ 

なんだろう、この感情は…

まだサビに入っていないのに涙が溢れそうになった。

参加のみなさんも同じような表情に見えた。

それは秋元康さんの歌詞があまりにも被災者の心境と重なり、Amのメロディーと一緒に心に伝わった。歌が心の傷を洗い流してくれているように感じた。

改めて音楽の力はすごいなと感じた瞬間だった。

その後、森山直太朗「さくら(独奏)」や千昌夫「北国の春」など季節や場所にちなんだ曲を歌い、僕はマウンテンソングを歌い踊った。

最後はみんなでマウンテンポーズをした。

しあわせマウンテンをめざして一日でも早い復興を願った。

               NOTO ,NOT ALONE.

最後に館長にあいさつに行くと、受付台に貼ってある張り紙に目が留まった。

いいゴロ合わせだなと感心しつつ、時が流れても忘れてはならないともう一度心に呟いた。

PS.ここまで見てくれてありがとマウンテン。最後の写真は全国からボランティアに駆け付けた仲間たちとマウンテンポーズ。皆様ぜひ能登を忘れないでください。よろしくマウンテン!

POSTED DATE : 2024年4月6日

2024年3月17日 能登半島地震被災地へ04

寒さが残る3月午前の奥能登、輪島。

三井小学校正門玄関前特設ステージは多くの人々によって囲まれていた。

卒業生や保護者の方々をはじめ先生方や関係者の皆様が手拍子を送りながら僕を待ってくれていた。

まずは皆様へ向けて深く一礼をした。

この震災で無事卒業式を迎えることができておめでとうという気持ちとこのセレモニーに呼んでくれた感謝の気持ち、そして音響の不具合によりお待たせして申し訳なかった気持ちとが混ざり合った一礼だった。

一曲目は新曲「welcome to MUSIC」と決めていた。

この約2か月半の被災生活、老若男女問わず皆生きるために必死だったことだろう。

特に輪島地区は大火災、津波、いまだに水道が通っていない現状があり、心身はもちろんのこと五感も疲弊していることだろう。あたらめて音楽の力でこの茶色と灰色の世界をカラフルに彩ることができたらなという思いがあった。

welcome to MUSIC

立ち止まらないで そのまま

welcome to MUSIC

自分のメロディー 歌うのさ

愛も 孤独も 飲み込んだくやしさも Change to your song!

すべては美しい旋律となって あなただけのプレミアムメロディー

約20分間のステージが終わった。

後ろで見てくれていた年配者の方々も、最後まで手拍子をしてくれた。

終始アットホームな雰囲気に感じたのは、夏祭りで知ってくれていたことだけではなく、僕の両親も奥能登出身でこの細胞ひとつひとつがmade in 奥能登だということもあったように思う。

終わった後、卒業生児童たちが僕に駆け寄ってきてサインを求めてくれた。

「ここに書いてほしいです」

記念品だろうか。一人の卒業生がおろしたてのTシャツを持ってきて、胸の正面に書いてほしいと言うのだ。後で後悔しないだろうかと思ったが、大切にしてよと勢いのまま大きく書いてみせた。それを見た他の卒業生も続くようにTシャツを持ってきた。

片づけをしていると、卒業生たちがまた来てくれた。

なんとみんなが先ほど書いたばかりのサイン入りTシャツに着替えているではないか。

正門特設ステージでみんな並んで一緒に記念写真を撮った。

写真の中の僕たちはこれまでのことをすべて忘れさせてくれるほど眩しい笑顔だった。