南アフリカを訪れて~ロベン島にて~
水しぶきをあげ進んでいくフェリーの窓辺から、どんな思いでネルソンマンデラはこの海を見つめていたのだろうか。
猛スピードの速さで進むフェリーは30分ほどでロベン島に着いた。
南アフリカのいつものカラッとした気候とは対照的にこの日はとても風が強かった。
島の縦横にはりめぐらされたゆとりある道路、集会所、警察署、教会、それぞれの宗教と思われる建物、お墓・・・
なんだろう、この感じ、どこかで見たことがある。
そうだ、昨年訪れた香川県高松市、大島青松園だ。
瀬戸内海に浮かぶ島はハンセン病患者を隔離させるための収容所との雰囲気が一緒だった。
家族や友人と引き離され、人間が人を差別化する時にとる行動は、古今東西同じなのだろう。
牢獄の中へと入る。
狭い牢獄の廊下。
日中と言うのに薄暗く、体感温度は冷たい。
鉄格子とコンクリートだけの壁が南アフリカの青い空と海と反比例し、さらなる異空間を感させた。
元監守のガイドは所々で止まり、当時の生々しい状況を熱く語る。
ここがマンデラが過ごしていた場所です.
そこはいくつも連なる箱のような牢獄の一つだった。
他の囚人の部屋と何ら変りない。
3メートル、3メートルくらいの方形の部屋に一枚の毛布と敷布団、そして鉄格子つきの小さな窓。
マンデラは28年間この独房で過ごした。
鉄格子の隙間からわずかに差し込む光に、彼は何を託していたのだろうか。
マンデラはあきらめなかった。
コンクリート塀に囲まれた広場では政治の勉強の場として情報交換をしたり、監守を説得し育成する場でもあった。
常にマンデラは白人主導の人種隔離政策(アパルトヘイト)の撤廃をあきらめず、自由のために戦かった。
マンデラは最も屈辱的な状況下でも自分の信念と精神を貫き通した強さに僕の心は深く揺さぶられた。
この経験を終わらせてはならない。
ネルソンマンデラの残した情熱を、人権教育を訴える一人として、僕はしっかりと心に刻みつけた。