桜を見ると思い出す
近所の公園のさくらが見ごろを迎え、たくさんの親子連れが幸せそうな笑顔でピンク色の花びらを見つめていました。その笑顔が鮮明に見えたのも、マスクの着用義務から解放され、顔全体が喜びに包まれていたことが分かり、さらに嬉しさが伝わってきました。
6年前の春からいつもこの桜を見ると、僕は42歳で旅立った姉を思い出すようになりました。
美しければ美しいほど、生きたかった姉の気持ちと重なります。
ベットの上で懸命にリハビリを繰り返す姉の姿と、病院の部屋の窓から見える桜が重なり、「今年もきっと、見たかっただろうな、この桜を」と姉の気持ちを思い出します。
僕のこの活動も応援してくれていて「がんばれー」と声を振り絞って送ってくれた動画が最後となりました。
そのたびに、次の桜までには、また成長した自分で迎えたいと思うようになりました。
でも気づけば、「成長したっけこの一年」と、過行く時の速さにあぐらをかき、
錆行く体に油をささず、現状維持どころか確実に退化した自分がここにいることにも今、
目をそらそうとしている。
『ごめん姉よ。あなたの分、精一杯生きると決めたのに…』
心の中で呟くと、姉に怒られたような気がして、
桜を前にしてなんだかばつが悪くなった気分になりました。
もう一度仕切り直しだ。
さあ、始めるか。いや、今始めよう。
思い立ったが吉日と言わんばかりに突然走り出した僕。
たぶん突発的な行動に驚いたのだろう、いやそれとも姉か・・。
側溝に固まっていた桜だまりが息を吹き返すようにアスファルトの上で高く舞い上がりました。