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登天ポールの「自殺反対、いじめ撲滅」キャンペーン全国行脚 

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POSTED DATE : 2024年7月2日

旭川 女子中学生死亡“いじめが原因の自殺”認定

『旭川市の中学2年生だった廣瀬爽彩さん(当時14)は3年前の2021年3月、雪の積もった市内の公園で死亡しているのが見つかり、その後、いじめがあったことが認定されました。

しかし、市教育委員会の第三者委員会による調査では、死亡したことといじめとの関係性が明らかにならなかったことから、遺族の求めで新たに再調査委員会が設けられ調査が続けられてきました。

また当時、中学校はいじめではなく加害生徒による問題行動とだけ捉えて女子生徒への適切な対応を怠ったほか、市教育委員会も学校への指導や助言を怠っていたと指摘しました。

一方、女子生徒が亡くなったことについては「いじめ被害が過去のものとならず、継続して苦しみ、死を決意した」などとして自殺だったという見解を示し、死亡したことといじめとの関係性を初めて認めました。

その上で、女子生徒がPTSD=心的外傷後ストレス障害を発症し自殺に至るまでトラウマに苦しみ自尊感情の著しい低下なども続いたと指摘し、「いじめにあわなければ自殺は起こらなかった」と結論づけました。』(2024.6.30NHK記事より抜粋)

さあやさんがなくなってからいじめが認められる今日まで、この約3年3か月という期間がかかった。

本来子どもたちへの対応のプロフェッショナルな立場である教育者たちが、これはいじめ、これはいじめじゃない、と3年3か月もかけて議論すべきものだろうか。

いまだに日本のいじめ問題への対応の稚拙さを浮き彫りにしたと思う。

さあやさんのご家族の皆様へ心よりご冥福をお祈り申し上げます。

今後もこんな悲しいことがないように、微力ながらも、一人でも多くの子どもたちにいじめ撲滅・自殺反対への思いを伝えていきたいと思う。

POSTED DATE : 2024年4月6日

2024年3月17日 能登半島地震被災地へ04

寒さが残る3月午前の奥能登、輪島。

三井小学校正門玄関前特設ステージは多くの人々によって囲まれていた。

卒業生や保護者の方々をはじめ先生方や関係者の皆様が手拍子を送りながら僕を待ってくれていた。

まずは皆様へ向けて深く一礼をした。

この震災で無事卒業式を迎えることができておめでとうという気持ちとこのセレモニーに呼んでくれた感謝の気持ち、そして音響の不具合によりお待たせして申し訳なかった気持ちとが混ざり合った一礼だった。

一曲目は新曲「welcome to MUSIC」と決めていた。

この約2か月半の被災生活、老若男女問わず皆生きるために必死だったことだろう。

特に輪島地区は大火災、津波、いまだに水道が通っていない現状があり、心身はもちろんのこと五感も疲弊していることだろう。あたらめて音楽の力でこの茶色と灰色の世界をカラフルに彩ることができたらなという思いがあった。

welcome to MUSIC

立ち止まらないで そのまま

welcome to MUSIC

自分のメロディー 歌うのさ

愛も 孤独も 飲み込んだくやしさも Change to your song!

すべては美しい旋律となって あなただけのプレミアムメロディー

約20分間のステージが終わった。

後ろで見てくれていた年配者の方々も、最後まで手拍子をしてくれた。

終始アットホームな雰囲気に感じたのは、夏祭りで知ってくれていたことだけではなく、僕の両親も奥能登出身でこの細胞ひとつひとつがmade in 奥能登だということもあったように思う。

終わった後、卒業生児童たちが僕に駆け寄ってきてサインを求めてくれた。

「ここに書いてほしいです」

記念品だろうか。一人の卒業生がおろしたてのTシャツを持ってきて、胸の正面に書いてほしいと言うのだ。後で後悔しないだろうかと思ったが、大切にしてよと勢いのまま大きく書いてみせた。それを見た他の卒業生も続くようにTシャツを持ってきた。

片づけをしていると、卒業生たちがまた来てくれた。

なんとみんなが先ほど書いたばかりのサイン入りTシャツに着替えているではないか。

正門特設ステージでみんな並んで一緒に記念写真を撮った。

写真の中の僕たちはこれまでのことをすべて忘れさせてくれるほど眩しい笑顔だった。

POSTED DATE : 2024年1月11日

両親が能登出身

両親が能登出身です。
父は能登町、母は穴水町出身。奥能登の者同士、お見合い結婚をしました。
その後、仕事で父母は神戸へ。三人の子を産みました。
毎年、お盆と正月に能登へ帰っていました。
神戸~能登の約500キロの道のりを、家族5人、狭いセダンの車で兄弟げんかをしながら、祖父母がいる実家へと帰っていました。
夏はカブトムシ、冬は雪合戦、能登の田舎に帰って遊べる喜び半分、渋滞や大雪による交通規制、移動時間の長さなどで嫌な気分半分。

どんなときも父は父は子を連れて能登へ帰ることをしました。

おかげで、能登は僕のふるさとです。
2024年1月1日午後4時10分も僕は能登にいました。
家族で外へ買い物に出かけていたので、実家にはおらず命は助かりました。
現在も母は兄のいる野々市市へ避難生活をしています。
実家が今どんな状況なのか、まだ帰れていなのでわかりませんが、ただただ、今生きている現実こそが奇跡という実感です。
現在、まだ安否確認ができていない人々や避難生活を送っている能登地方のすべての方々へ、少しでもよいニュースが届くように祈っています。
捜索活動してくれている皆様、ボランティア、政府の皆様すべてに感謝します。
落ち着いたら、微力ですが自分ができる範囲でチャリティー活動を行いたいと思います。

心は能登に。

いつも心にマウンテン

POSTED DATE : 2023年12月24日

サンタクロースはいるんでしょうか?

サンタクロースはいるんでしょうか?

今から120年ほど前、のアメリカの新聞「ニューヨーク・サン」へ8歳の女の子から「サンタはいるんでしょうか?」との投書がありました。

この可愛らしい問いかけに、論説委員のフランシス・チャーチ(Francis Church/1839-1906)氏は、1897年9月21日付の社説の中で、優しく丁寧に答えを示しました。

「Yes, Virginia, there is a Santa Claus.」
(そうだよ、バージニア。サンタクロースはいるんだよ。)

このフレーズは、海外では、現在

「信じられないかもしれないが、確かに存在している」

という意味でも使わているそうです。

「人への思いやり、まごころ、愛が存在するのと同じように、サンタクロースは存在するのです」。

本を買っている人もいると思います。

目に見えなくとも存在するものはこの世にはいくらでもある、

そしてそういったものほど本当であり、いつまでも変わらないものだという普遍の真理を、

フランシス・チャーチは教えてくれました。

世界中で語り継がれているこの言葉と物語は、

私達に目に見えないものの大切さを教え、

夢と希望を与え続けてくれているのだと思います。

目に見えないものの大切さを教えてくれる日だと思います。

クリスマスプレゼントを開けるってことは、その人の心を開けることだと思う。

喜んでくれるかなという心、笑顔になってほしいという気持ち、大切に使って、いつも私を思い出してほしいという願いを

受け取ってほしいな。

それは目には見えないこと。

サンタクロースみたいなことだと思います。=温かい気持ち、思いやりの心、

誰もがサンタクロースなんだと思います。

今日は目に見えない大切なこと、そんな話をしたいと思っています。

その前に、、

いじめ撲滅全国行脚が終わって3年後の出来事です。

僕は☆さんという人とふたりでいじめ撲滅全国行脚を約1年かけてしました。

そしてその後も、東京を中心に活動をしていました。

僕たちはふたりとも、いつも心にマウンテン、自殺反対、いじめ撲滅の思いだけを必死で頑張りました。しかし僕たちの思いとは別になかなかこの活動は広がりません。

頑張ってきて頑張ってきても報われませんでした。

でも約10年近く共にやってきた星さんがある日、

「ポール、これからやっていけるのかな。ちょと僕は一度活動から手を引いて別の道をやっていこうと思う」

その時の表情を今でも忘れることはできないです。

全国行脚したことはなんやったんやろう、

あんなに熱い思いでここまで二人で頑張ってきたのに、

こんなことで途切れてええんやろか、

星さんは牧師になり、

僕はこの先ひとりでどうすればいいのかなと迷っていました。

行くべきか、もうやめるべきか。

でも、こんなことで途切れてええんやろか、

ひょっとしたら今こうしている時でも、僕以上悩んでいるひと、そしてひょっとしたらいじめられて苦しんでいる人がいるかもしれない、

そんなことを思った時に、僕は原付で登り竿をおしりで挟み、スピーカーを足元に乗せて、衣装のまま杉並区のアパートから井之頭通りを走り、渋谷の宮下公園へ向かっていました。

元気マウンテンで行こう!!

渋谷の街はクリスマスで華やいでいました。

カップルで溢れ、みんな幸せなんかな~と思った。

渋谷の宮下公園に立つと、懐かしいな、久々やな~、不思議な物で一瞬にして、路上パフォーマーとしての感覚が蘇りました。

しかし、毎週末ここで訴えていたなんて、当然誰も知る由もなく、人々は変な眼差しで苦笑し通り過ぎていきます。

歌いながら、今日はこの曲で最後にしようか、、そう思った時でした。

ひとりの女性がお札をカンパしてくれているではないですか!!!

彼女は三年前の今日、ここで出会った女性でした。

「いつもここを通ると思い出すのよ。まさか今日いるなんて・・。逢えてよかった」

そういって財布を出して5千円カンパをしてくれました。

「きっとあなたの声を聞いて、元気になっている人がどこかにいるから、これからも負けず頑張ってね。今日はクリスマス、メリークリスマス!」

と言って去っていきました。

今日いくかどうか、やめようと思っていた自分、クリスマスということで、恥ずかしがっていた自分、星さんもいないし、いろんな理由をつけて、迷っていたのですが、

彼女と出逢って、吹っ切れたんですね。

応援してくれている人がいる、見てくれている人がいる、

僕は一人じゃなかったんだ。ということを知った瞬間でした。

日も暮れだした渋谷の街、肩を寄せ合うカップルの横目にイルミネーションが輝く街に響かせるように、また力づよくマウンテンソングを歌い始めました。

彼女は僕にとってのサンタクロースでした。

きっとサンタクロースっているんだと思います。

では、素晴らしいクリスマスを。

POSTED DATE : 2023年2月24日

日本で世界のいじめ撲滅イベント「ピンクシャツデー」が広がっている

ピンクシャツデー運動の創始者 トラヴィス・プライス氏

何がきっかけでもいいと思う。

カナダの学校でピンクのシャツを着ているだけで、いじめにあった。

それを知った友達は、SNSで呼びかけた。

「明日みんなでピンク色のシャツや小物など、身に着けよう!」

SNSでどんどん拡散され、次の日、学校にはピンク色を身に着けた学生であふれていた。

その日以来、いじめがなくなったそうだ。

これが平和的にいじめ撲滅につながったと話題になって

いまや世界中でピンクシャツデーとして広がっている。

とても素敵な友達だよね。

みなさんは自分がいじめられたら、助けてくれる仲間はいますか?

生徒がピンク一色で「いじめ撲滅」訴える 広島・福山市の学校

いじめ反対「ピンクシャツ」で 登別の小中高など 根絶への思い確認

POSTED DATE : 2023年2月13日

トルコ・シリア地震から一週間

トルコ南部で6日に発生した地震から今日で1週間。

死者が3万4,000人を超えた。

生存確率が急激に下がる72時間を超えても、10歳の少女が瓦礫の下から救助されたり、生後7か月の乳児が助けられたりと、奇跡の救出の中で、僕たちは何を感じ取ることができるだろうか。

どんな時でも決して、最後まであきらめてはいけないことの大切さや、

助けを待つ人、助けようとする人、どちらも力ある限り「信じる」ということ。

僕たち一人ひとりの祈りや想いが、やっぱり人間の素晴らしさなのだろうと。

改めて奇跡は僕らの心から生まれてくるのだなって思う。

今日も僕はただ、TVやネットニュースを見てるだけで、

なにも出来ていないけど、

1人でも多くの命が心から助かってほしいと、この部屋でずっと祈っています。

わずかばかりの募金と共に。

POSTED DATE : 2022年11月9日

2022年11月07日 大阪府/豊中市立蛍池小学校

阪急電車・大阪モノレール「螢池駅」西南700メートルに位置し、近くには大阪空港がある豊中市立蛍池小学校4,5,6年生90分講演です。

校区には、人権と共生をキーワードに、地域・家庭・学校がともに子どもの育ちを考えていくことをねらいとして設立された「子育ち・ふれあいの会(十八中校区地域教育協議会)」があり、街全体で人権教育を熱心に取り組んでいます。

当初、講演は4年生、5年生が対象でしたが、6年生にも聴かせたいとのことで高学年全児童が参加してくれました。

6年生も対象になったことで、内容や歌を急遽変更し、行動することへの大切さやたった一言の重みなど、普段の日常で気づけるようなことを中心に、歌を交えながら伝えていきました。

90分間でしたが、4年生も最後まで頑張って聴いてくれて、最後のマウンテンソングではナイスマウンテンを披露してくれました。

講演後、6年生全員と写真撮影。クラスメイト同士笑い合い、助け合いながら、残りの小学校ライフをかけがえのない時間にしてほしいと思います。

POSTED DATE : 2022年10月1日

これまでの歩み

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