POSTED DATE : 2024年4月16日
2024年3月17日 能登半島地震被災地へ(完)
能登鉄道の穴水駅前に「さわやか交流館プルート」がある。
震災前は図書館や交流スペースなど多目的な広場でにぎわっていたが、震災後は大規模避難所として今もな多くの人たちが避難生活をしている。
神戸を出発する前からプルート館長と連絡を取り、慰問コンサートの日程を調整していたので、ホワイトボードにはしっかりと登天ポールの文字か書かれていた。
館内アナウンスが鳴り響く。
「本日登天ポールさんによる歌と踊りのパフォーマンスがあります。ぜひ一階までお集まりください。」
後ろから70歳くらいの男性が話しかけてきた。
よく見ると親戚のおじさん、いとこのやっちゃんの父だった。
「まだがんばっとったんけ?」
「は、はい。おじさんこそご無事でなりよりです。ここに避難してたんですね」
地元の布団屋だったおじの家は一階がなくなる形で全壊した。やっちゃんから聞いていたが、地震の5分前までその家の中にいてトイレをしていたらしいので、まさに危機一髪で難を逃れた。
「生かされた命だったなわいね」
そう言ってニタッと笑った顔は、少年時代に見たときの笑顔のままだったので少し安心した。
コンサートはギターの弾き語りから始めた。
昭和の名曲、美空ひばり「川の流れのように」をみんなで一緒に歌った。
♪~知らず知らず歩いてきた細く長いこの道~
でこぼこ道や 曲がりくねった道~
地図さえない それもまた人生~♪
なんだろう、この感情は…
まだサビに入っていないのに涙が溢れそうになった。
参加のみなさんも同じような表情に見えた。
それは秋元康さんの歌詞があまりにも被災者の心境と重なり、Amのメロディーと一緒に心に伝わった。歌が心の傷を洗い流してくれているように感じた。
改めて音楽の力はすごいなと感じた瞬間だった。
その後、森山直太朗「さくら(独奏)」や千昌夫「北国の春」など季節や場所にちなんだ曲を歌い、僕はマウンテンソングを歌い踊った。
最後はみんなでマウンテンポーズをした。
しあわせマウンテンをめざして一日でも早い復興を願った。

NOTO ,NOT ALONE.
最後に館長にあいさつに行くと、受付台に貼ってある張り紙に目が留まった。
いいゴロ合わせだなと感心しつつ、時が流れても忘れてはならないともう一度心に呟いた。



PS.ここまで見てくれてありがとマウンテン。最後の写真は全国からボランティアに駆け付けた仲間たちとマウンテンポーズ。皆様ぜひ能登を忘れないでください。よろしくマウンテン!
POSTED DATE : 2024年4月6日
2024年3月17日 能登半島地震被災地へ04

寒さが残る3月午前の奥能登、輪島。
三井小学校正門玄関前特設ステージは多くの人々によって囲まれていた。
卒業生や保護者の方々をはじめ先生方や関係者の皆様が手拍子を送りながら僕を待ってくれていた。
まずは皆様へ向けて深く一礼をした。
この震災で無事卒業式を迎えることができておめでとうという気持ちとこのセレモニーに呼んでくれた感謝の気持ち、そして音響の不具合によりお待たせして申し訳なかった気持ちとが混ざり合った一礼だった。
一曲目は新曲「welcome to MUSIC」と決めていた。
この約2か月半の被災生活、老若男女問わず皆生きるために必死だったことだろう。
特に輪島地区は大火災、津波、いまだに水道が通っていない現状があり、心身はもちろんのこと五感も疲弊していることだろう。あたらめて音楽の力でこの茶色と灰色の世界をカラフルに彩ることができたらなという思いがあった。
welcome to MUSIC
立ち止まらないで そのまま
welcome to MUSIC
自分のメロディー 歌うのさ
愛も 孤独も 飲み込んだくやしさも Change to your song!
すべては美しい旋律となって あなただけのプレミアムメロディー
約20分間のステージが終わった。
後ろで見てくれていた年配者の方々も、最後まで手拍子をしてくれた。
終始アットホームな雰囲気に感じたのは、夏祭りで知ってくれていたことだけではなく、僕の両親も奥能登出身でこの細胞ひとつひとつがmade in 奥能登だということもあったように思う。
終わった後、卒業生児童たちが僕に駆け寄ってきてサインを求めてくれた。
「ここに書いてほしいです」
記念品だろうか。一人の卒業生がおろしたてのTシャツを持ってきて、胸の正面に書いてほしいと言うのだ。後で後悔しないだろうかと思ったが、大切にしてよと勢いのまま大きく書いてみせた。それを見た他の卒業生も続くようにTシャツを持ってきた。

片づけをしていると、卒業生たちがまた来てくれた。
なんとみんなが先ほど書いたばかりのサイン入りTシャツに着替えているではないか。
正門特設ステージでみんな並んで一緒に記念写真を撮った。
写真の中の僕たちはこれまでのことをすべて忘れさせてくれるほど眩しい笑顔だった。
POSTED DATE : 2024年3月28日
2024年3月17日 能登半島地震被災地へ03

輪島市立三井小学校の卒業記念セレモニーは午前中に行われる。
セレモニーの会場となる体育館は震災の影響で使用できず教室となり、僕のステージは正門玄関前でお願いしますとなった。しかしなにやら進入禁止のコーンが置かれている。右側半分に校舎の壁が剥がれ落ち、コンクリートの塊がまだ撤去されず残っている状態だった。
『みんな僕のことを覚えてくれているかな~』
僕は卒業生たちが正門で記念撮影するために出てきたタイミングで、サプライズで登場し歌いだすといった流れだった。
近年コロナの影響で、毎年恒例となっていた夏まつり「三井の里フェスティバル」に参加できず不安になかったが、今は卒業式の晴れ舞台に花を添えることができるように一生懸命にパフォーマンスすることだけに集中しリハーサルを始めた。

控室となった放送室で衣装に着替えた僕は、ドキドキしながらその時を待っていた。
廊下から卒業生の声が聞こえた。
しかし、数分たってもなぜだか一向にお呼びがかからない。バレないようにそっと廊下へ出て、正門の外を覗いてみると、音響担当の山本君がなにやらそわそわしているではないか。
あれだけリハーサルしたスピーカーから音が鳴らなかった。
出ていきたい衝動を抑え、もう少し我慢して待っていると、もう山本君の顔がまるで冬の日本海のように荒れ、白波が立ち、次第に青ざめていく様子が見てわかった。しかもこともあろうか、しびれを切らした学校関係者が「と、と、とうてんポール、来てます!この後登場します!」とシャウトしているではないか。
『終わった・・・』
神戸から輪島まで約500キロ。
三井小学校卒業生たちがまさかと驚き、歌いだすと同時に喜ぶ顔を夢見て、ただひたすら真夜中の名神・北陸高速道路を飛ばしてきたシーンが走馬灯のように浮かんでいた。
POSTED DATE : 2024年3月28日
2024年3月17日 能登半島地震被災地へ02
今日は日曜日というのに、輪島市の街中は人通りがほとんどなかった。あんなにぎわっていた観光地のイメージしかなく、その時点で違和感を感じていたが、道路にはみ出すように倒壊した家々がここが能登半島地震の被災地ということをまざまざと見せつけ人々を寄せ付けないオーラを放っていた。
大好きだった輪島朝市のメイン通りは、まるで爆弾が落とされたように焦げ茶色の瓦礫の世界に変わっていた。

何度かテレビでは見ていたが、実際に目の前にした光景と少し鉄くずが焼けたような匂いに圧倒されて体が反応しきれていない。
何分か立ち尽くした後、奥能登の冷たい風を感じて、ようやく足を前に出した。
大好きだった永井豪記念館はどの辺りだったか…
おそらくこの辺りにあったと思われる場所に、焼け焦げた看板に「永井…」の文字が見えた。
約10年前の夏の夜、永井豪記念館の前でライブした思い出がよぎる。
みんなで歌い、踊った、蒸し暑いあの輪島の夜の光景が、今はもうなくなったんだと、目の前にはもうない現実を受け止め、初めて悲しさを嚙み締めた。
大阪から同行した友人の山本君も、同じく言葉を失っていた。

POSTED DATE : 2024年3月21日
2024年3月17日 能登半島地震被災地へ01
2024年1月1日に起きた能登半島地震。
あれから約2か月半。
被災地の児童、学生たちも卒業式の季節を迎えました。
輪島市三井町の子どもたちは元気にしているのだろうか。
毎年行われる夏祭り「三井の里フェスティバル」にいつも呼んでくれて、大人も子どもたちもみんなで一緒にマウンテンポーズをした思い出を懐かしみ、安否を気遣っていましたが、なかなか行動に起こせずにいました。
自分に何かできることはないか…と模索しているところ、一本の電話が鳴りました。
「子どもたちの卒業記念式典にサプライズゲストとして来て歌ってもらえないだろうか?」
三井町の公民館の館長からでした。
他の仕事との調整もあり、スケジュールを確認しますと一旦電話を切ったが、すでに心の中では決まっていました。

POSTED DATE : 2024年2月16日
2024年2月11日 香川県/人権教育研修会



高松市で人権教育研修会が行われました。
最新の人権感覚を磨こうと香川県在住の先生方や市職員等、約70名が集まりました。
一部では人権のために活躍した偉人やアーティストの歌、絵本等、多ジャンルにわたる人権研修が行われ、命の尊さを改めて学びました。
二部では人権コンサートと題して、約20分の貴重な時間を頂き、トークと歌を披露しました。
トークでは今年元旦、ちょうど能登の実家に帰省した時に起こった能登半島地震の経験を話しました。かろうじて、こうして助かった命のありがたさ、またもしも明日命が絶えようをしたとき、自分は後悔しないだろうか、毎日を精一杯生きていきたいと思う気持ちを歌い、ギター弾き語り曲「命輝かせながら」を歌いました。
また今月は世界でいじめ撲滅の象徴イベントとして定着している「ピンクシャツデー」にあたり、この高松人権研修会のメンバーで制作した「WE ARE THE FAMILY ~いじめ反対のうた~」を歌い、いじめ撲滅の思いをひとつにしました。
最後はしあわせな未来へ願いを込めて「マウンテンソング」をみんなで歌い、山のポーズで笑顔で終わりました。
会長の石原先生が体調面もあり、今回で最後回とことになりました。
本当に寂しいですが、長い間お疲れ様でした。
また機会があることを願っています。
POSTED DATE : 2024年1月11日
両親が能登出身
両親が能登出身です。
父は能登町、母は穴水町出身。奥能登の者同士、お見合い結婚をしました。
その後、仕事で父母は神戸へ。三人の子を産みました。
毎年、お盆と正月に能登へ帰っていました。
神戸~能登の約500キロの道のりを、家族5人、狭いセダンの車で兄弟げんかをしながら、祖父母がいる実家へと帰っていました。
夏はカブトムシ、冬は雪合戦、能登の田舎に帰って遊べる喜び半分、渋滞や大雪による交通規制、移動時間の長さなどで嫌な気分半分。
どんなときも父は父は子を連れて能登へ帰ることをしました。
おかげで、能登は僕のふるさとです。
2024年1月1日午後4時10分も僕は能登にいました。
家族で外へ買い物に出かけていたので、実家にはおらず命は助かりました。
現在も母は兄のいる野々市市へ避難生活をしています。
実家が今どんな状況なのか、まだ帰れていなのでわかりませんが、ただただ、今生きている現実こそが奇跡という実感です。
現在、まだ安否確認ができていない人々や避難生活を送っている能登地方のすべての方々へ、少しでもよいニュースが届くように祈っています。
捜索活動してくれている皆様、ボランティア、政府の皆様すべてに感謝します。
落ち着いたら、微力ですが自分ができる範囲でチャリティー活動を行いたいと思います。
心は能登に。
いつも心にマウンテン
POSTED DATE : 2023年12月24日
サンタクロースはいるんでしょうか?

サンタクロースはいるんでしょうか?
今から120年ほど前、のアメリカの新聞「ニューヨーク・サン」へ8歳の女の子から「サンタはいるんでしょうか?」との投書がありました。
この可愛らしい問いかけに、論説委員のフランシス・チャーチ(Francis Church/1839-1906)氏は、1897年9月21日付の社説の中で、優しく丁寧に答えを示しました。
「Yes, Virginia, there is a Santa Claus.」
(そうだよ、バージニア。サンタクロースはいるんだよ。)
このフレーズは、海外では、現在
「信じられないかもしれないが、確かに存在している」
という意味でも使わているそうです。
「人への思いやり、まごころ、愛が存在するのと同じように、サンタクロースは存在するのです」。
本を買っている人もいると思います。
目に見えなくとも存在するものはこの世にはいくらでもある、
そしてそういったものほど本当であり、いつまでも変わらないものだという普遍の真理を、
フランシス・チャーチは教えてくれました。
世界中で語り継がれているこの言葉と物語は、
私達に目に見えないものの大切さを教え、
夢と希望を与え続けてくれているのだと思います。
目に見えないものの大切さを教えてくれる日だと思います。
クリスマスプレゼントを開けるってことは、その人の心を開けることだと思う。
喜んでくれるかなという心、笑顔になってほしいという気持ち、大切に使って、いつも私を思い出してほしいという願いを
受け取ってほしいな。
それは目には見えないこと。
サンタクロースみたいなことだと思います。=温かい気持ち、思いやりの心、
誰もがサンタクロースなんだと思います。
今日は目に見えない大切なこと、そんな話をしたいと思っています。
その前に、、
いじめ撲滅全国行脚が終わって3年後の出来事です。
僕は☆さんという人とふたりでいじめ撲滅全国行脚を約1年かけてしました。
そしてその後も、東京を中心に活動をしていました。
僕たちはふたりとも、いつも心にマウンテン、自殺反対、いじめ撲滅の思いだけを必死で頑張りました。しかし僕たちの思いとは別になかなかこの活動は広がりません。
頑張ってきて頑張ってきても報われませんでした。
でも約10年近く共にやってきた星さんがある日、
「ポール、これからやっていけるのかな。ちょと僕は一度活動から手を引いて別の道をやっていこうと思う」
その時の表情を今でも忘れることはできないです。
全国行脚したことはなんやったんやろう、
あんなに熱い思いでここまで二人で頑張ってきたのに、
こんなことで途切れてええんやろか、
星さんは牧師になり、
僕はこの先ひとりでどうすればいいのかなと迷っていました。
行くべきか、もうやめるべきか。
でも、こんなことで途切れてええんやろか、
ひょっとしたら今こうしている時でも、僕以上悩んでいるひと、そしてひょっとしたらいじめられて苦しんでいる人がいるかもしれない、
そんなことを思った時に、僕は原付で登り竿をおしりで挟み、スピーカーを足元に乗せて、衣装のまま杉並区のアパートから井之頭通りを走り、渋谷の宮下公園へ向かっていました。
元気マウンテンで行こう!!
渋谷の街はクリスマスで華やいでいました。
カップルで溢れ、みんな幸せなんかな~と思った。
渋谷の宮下公園に立つと、懐かしいな、久々やな~、不思議な物で一瞬にして、路上パフォーマーとしての感覚が蘇りました。
しかし、毎週末ここで訴えていたなんて、当然誰も知る由もなく、人々は変な眼差しで苦笑し通り過ぎていきます。
歌いながら、今日はこの曲で最後にしようか、、そう思った時でした。
ひとりの女性がお札をカンパしてくれているではないですか!!!
彼女は三年前の今日、ここで出会った女性でした。
「いつもここを通ると思い出すのよ。まさか今日いるなんて・・。逢えてよかった」
そういって財布を出して5千円カンパをしてくれました。
「きっとあなたの声を聞いて、元気になっている人がどこかにいるから、これからも負けず頑張ってね。今日はクリスマス、メリークリスマス!」
と言って去っていきました。
今日いくかどうか、やめようと思っていた自分、クリスマスということで、恥ずかしがっていた自分、星さんもいないし、いろんな理由をつけて、迷っていたのですが、
彼女と出逢って、吹っ切れたんですね。
応援してくれている人がいる、見てくれている人がいる、
僕は一人じゃなかったんだ。ということを知った瞬間でした。
日も暮れだした渋谷の街、肩を寄せ合うカップルの横目にイルミネーションが輝く街に響かせるように、また力づよくマウンテンソングを歌い始めました。
彼女は僕にとってのサンタクロースでした。
きっとサンタクロースっているんだと思います。
では、素晴らしいクリスマスを。
POSTED DATE : 2023年11月6日
豊中市子ども健やか育み条例の紹介
大阪府豊中市では平成25年(2013年)に子ども健やか育み条例をつくり、子どもの人権を大切にしながら、子どもがまわりの人から愛され、自分らしく健やかに育つことのできるまちをめざしています。
子どもに最もよいことは何なのかをみなが考えながら社会全体で子どもを愛情深く育む地域社会をつくっていきましょうと市民に呼びかけています。
その一環として、子どもの人権に関する理解を深めるため、市内の小・中学校の児童・生徒・保護者を対象に出前講座を実施しており、ぼくは講師の一人として選んで頂いています。

そのおかけだと思うのですが、同市で出会った街の人々が笑顔でとても暖かく、子どもたちも生き生きと生活しているように感じます。
命の尊さや友達のすばらしさや人を思いやる気持ちって、心がやわらかい子どものときに、伝えることが大切だと思う。
小さな頃から他人を思いやれる心を育むことができると思うし、大人になっても困った人を見かけたら自然と手を差し伸べることができるような人間になれると思う。
こういう豊中市のような子供への条例がほかの市町村にもあるんだと思うけど、目にわかるようにもっと全国へ広がってほしいと思う。
近い将来、国レベルで統一した考え方やサービスが作れれば、未来の日本人はとっても素晴らしくなるんだと思う。
POSTED DATE : 2023年11月4日
2023年10月27日 大阪府/豊中市第十七中学校



大阪府の北部にある豊中市第十七中学校一年生100分講演です。
昨年に続き、4回目の同校での講演となります。
もう17年前にもなるいじめ撲滅、自殺反対の全国行脚の話を、今もなお、子供たちや大人に伝えてほしいと声をかけて頂けることに、豊中市教育委員会の職員の皆様や、校長先生、人権担当の先生方に心よりa lot of感謝です。
休憩を挟まずに、100分間も、じっと、また歌も手拍子してくれたりしながら、みんな聴いてくれてありがとマウンテン!
終わった後、生徒たちが近寄ってくれて、あっと片付けを手伝ってくれました。嬉しかったな~。「長い間しんどくなかった?」と言うと「あっという間だった!」と言ってくれたこと、さよならときにマウンテンっ!と声をかけて、山のポーズをしてくれたこと、いろいろなシーンが今も僕の中に残ってます。
またいつかどこかで逢えることを楽しみにしています。
いつも心にマウンテン