「やめて」が聞こえたら、もう遊びじゃない。

先日、下校時間の道を歩いていた時のことです。

小学4、5年生くらいの男の子たちが、

何人かでふざけ合っていました。

最初は僕も、

「何かゲームでもしているのかな」

くらいに思っていました。

でも、すれ違う少し前。

その中の一人が、

明らかに嫌そうな顔をしている。

「やめて」

そんな感じに見えました。

思わず、

「おい!なにがあったんや?」

と声をかけました。

すると周りにいた子たちは、

一瞬ぎくっとしたような顔をして、

「何でもないですー」

と言いながら、

その子から離れていきました。

本当にいじめだったのか。

僕には分かりません。

だから、

「いじめを止めた」

なんて言うつもりもありません。

ただ、

残されたその子に、

「大丈夫か?」

と聞きました。

その子は、

少しだけうなずいて、

歩いていきました。

その後ろ姿を見ていたら、

突然、

中学一年生の頃の自分を思い出しました。

あの頃、

友達同士でよくじゃれ合っていました。

最初は遊びでした。

でも、その中に、

パンチが妙に強いやつがいた。

「痛いやろ!」

そう言っても、

本人は笑っている。

周りも面白がる。

そしていつの間にか、

それまで関係のなかったやつまで、

「こいつはいじっていい」

そんな空気になっていきました。

仲がいい。

ふざけている。

じゃれ合っている。

でも、

その中にいる本人は、

もう笑っていない。

その境目を、

周りは案外分かっていないのかもしれません。

僕の場合は、

最後には怒りました。

昔の話ですが、

放課後に一対一でケンカをしました。

それから、

ちょっかいを出されることはなくなりました。

でも今振り返れば、

あれが正しい解決方法だったとは思いません。

僕はたまたま、

反撃できただけです。

すべての子どもが、

「やめろ!」

と言えるわけじゃない。

怒れるわけでもない。

まして、

戦える必要なんてありません。

だからこそ、

少し考えてしまいます。

大人から見れば、

「ただのじゃれ合い」

に見えることがある。

子どもたち自身も、

「遊んでいるだけ」

と思っていることがある。

でも、

大切なのは、

周りからどう見えるかではなく、

その子がどう感じているか。

本気の「やめて」が出ているのなら、

一度、止まってみる。

誰かが深く傷つく前に、

友達でも、

先生でも、

近くにいた大人でも、

「もうやめとけ」

「大丈夫か?」

と言える。

そんなことも、

いじめを予防する一つの形なのかもしれません。

何かが起きてからではなく、

傷が深くなる、その前に。

日本に、いじめ予防文化を。

▼ 私が目指している未来
https://toutenpaul.com/ijime-yobou/

いつも心にマウンテン

登天ポール

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