POSTED DATE : 2010年6月8日
「相田みつを」という人間
さわやかな初夏の季節、皆さんいかがお過ごしてしょうか?
能登の夜はまだ寒く、石油ストーブを炊きながらコラムを書いている。
よく考えると僕はこの「昼暖かいbut夜寒い」という気候を今年に入ってずっと過ごしていることに気がついた。暑いと思っていたインド(コルカタ)も夜寒く、暖かいと思って戻ってきた日本も、例年よりも寒い日が続き、そしてようやく暖かくなった5月に北陸へ移動。ほんとお見事というくらいにこの6ヶ月間は全く変わらない服装で、そろそろ見たくないのよこのジャンバーみたいな気分にもなっていて、今誰よりも夏を待ちきれない男の子です。
今回は金沢で詩人「相田みつを」の息子、相田一人さんの講演を聞きに行ってきたのでそのことを書いてみる。
『一生勉強、一生青春 相田一人 父「相田みつを」を語る』
いったい相田みつをってどんな人物なんだろうか。
僕は席に着き、ワクワクしながら目の前にあるパンフレットに目を通した。
いきなりショックだった。
あの柔らかな字体で分かりやすいメッセージを書いている「相田みつを」という人物が、かなりのおじさんでだったこと。そしてもう他界してしまっていたということ。同時にここまでの完璧なる自分の無知に一番ショックを受けて、合計トリプルショックを抱えたまま息子の相田一人(あいだかずひと)さんの話が始まった。
「父は30歳のとき、初めての古典をふるさとの足利で開きました。
そこで作品を売って収入を得るのが唯一の収入源でしたが全く売れませんでした。
60歳になって初めて今までの作品を本にまとめ、全国の書店に並びました。
ようやく世間に知られる兆しが出てきた67歳に脳内出血で突然亡くなりました」
涙が出ていた。
ひとつの作品に何度も何度も失敗し、何枚も書き直し、やり直していたことや兄が二人いて、二人とも戦死したこと。また働いていた職場で兄の教えどおりに正義を貫き、内部告発したらリンチにあい、片方の耳が聞こえなくなったことなど、彼の人生を知れば知るほど涙の連続だった。
雨の日は雨の中を 風の日は風の中を
一人さんは言う。
「この言葉は決して後ろ向きな言葉ではありません。
雨の日は胸を張って雨のど真ん中を歩き、風の日は風のど真ん中を歩いていく、
まさに父の生き方そのものでありました」
1時間半の講演は拍手喝采で幕を閉じた。
会場を出た後も強い余韻が残った。
僕が「相田みつを」と出逢ったのはいつだっただろう。
確か大学を卒業し東京に出てきた22歳のときだ。
初めて入った原宿の雑貨屋の店にあのやわらかい文字が飾ってあった。
とてもやさしく、なつかしい感じがして、言葉のひとつひとつが体に染み込んでいくように癒された。
今思うとあの言葉も、字体も、戦争という時代背景の中で経験した、たくさんの悲しみと苦労と失敗の中で、ようやくできあがったひとつだった。
僕は購入した本を一枚一枚めくり、一つ一つの作品に感動しながら
原宿の雑貨屋さんに飾ってあったあのことばを探した。
そして見つけた。
12年ぶりに出会うあの日あの時の、このことば。
どんな未来がやってきても、人類はこの言葉に勇気づけられていくでしょう。
つまづいたっていいじゃないか 人間だもの
NEXT IS…「ガンバレ日本~サッカーWカップ開幕~」
POSTED DATE : 2010年6月1日
いじめ撲滅本日記①
いじめ。
戦争する訳でもなく、ケンカする訳でもなく、ただ集団でネチネチと一人へダメージを与え続ける行為。
この陰湿で隠顕かつ、超アンフェアな物語は一体いつまで続くのだろうか?
若い命がまたひとつ消えてしまう前に僕は何ができるのだろうか?
命までかけて学校へ行くことはない
この世界の人間全員が君を嫌ってなんかいない
辛いことがあったときこそ笑い飛ばして生きていくんだ
どんなことがあっても死んではならない
一生懸命に働いているお父さんのために
君を生んでくれたお母さんのために
そして
未来でよく頑張ったと待っている自分のために…
僕は今、能登で、「いじめ撲滅本~君に生きてほしい~」の執筆活動をしている。
POSTED DATE : 2010年5月24日
沢尻エリカを斬る
風薫る五月もラストウィーク。
皆さん変わらず元気マウンテンかな?
僕は石川県能登町にある祖母の家に住み着いて2週間が経った。
当初あんなにフレッシュに見えた田園風景が今ではもう慣れてしまって、なんだか次の旅に出発したい自分がいる。
ダメよ…しっかり本を書き上げないと…ハウス!ポール、ハウス!…
愛犬をしかりつけるようにしてワイルドポールを押し込んでいる毎日です。
話は変わるが、ヤフーニュースを見ると沢尻エリカさんが1万2千人の前で劇的な復活を遂げたと載っていた。新曲発表なのにマイクの調子が悪いからといって歌っていないことも気にはなったが、「みんなありがとう~」って叫んでいるではないか。
僕は思わず目を疑った。
誰にありがとう???
一体どれだけの国民が彼女の復帰を待ち望んでいたというのだろうか。
沢尻エリカファンには申し訳ないが僕は彼女が嫌いだ。
正確にいうと「パッチギ」で大好きになったが、離婚騒動で大嫌いになった。
もっと正直にいうと最近まで池尻エリカだと思っていた。
この際彼女にはっきりと書いておく。
男をなめるな
愛した男の心をいきなりハサミでブツッと切ってしまうような女が世に出てはいけない。
「今の離婚はメールでやり取り」「カッコいい~」
まだ未熟な女の子たちに悪影響を及ぼすからだ。
真似をされても困るが、された男がハイパー困る。
一番残念なのは大手芸能プロダクションがマスコミと一体となって仕掛けているところだ。
国民を馬鹿にしているのかとさえ思ってしまう。
どんなにCMに抜擢され、どんなに肌を出されても美しく見える訳がない。
小室哲也事件しかり酒井紀子事件しかり、もちろん彼女は犯罪者ではないけど、品のない茶番劇はストリップ劇場で上映してほしいと思うポールです。
NEXT IS …「いじめ撲滅本、混迷戦記」
POSTED DATE : 2010年5月17日
能登の星空
真夜中1時。
執筆中のノートパソコンを閉じてトイレにいった。
気分チェンジしたくて外へ出た。
能登の星空。
眺めているとだんだん目が慣れてきて小さな星が幾万と浮かび上がってきた。
綺麗だな…
受験生のときも真夜中の公園に行って夜空を見てたっけ。
あのころの僕と今の自分。
何も変わっていないような、変わったような…
POSTED DATE : 2010年5月11日
燃え出すマグマ
インドの旅を終え、続いた国内の旅も終えた。
灼熱の太陽の下で走り回るマザーハウスの子供たち…
生と死が交わるガンジス川で祈り続けるインド人…
仕事と家庭に追われる日本人夫…
昨日のことのように懐かしみながら今おばあちゃんの田植えを眺めている。
ここは旅の最終地、石川県鳳珠郡能登町。
築100年になるらしい日本古家の二階。
窓から見える景色は田んぼ、田んぼ、静かにせせらいでいる小川、その後ろに夏を待てない森林たちがもくもくと立ち上る煙のように茂っていて、真ん中に一本の細い国道が音もなく一直線に伸びている。
ストレスないな~ここ
思わず笑ってしまうくらいの田舎景色。
東京に12年いただけに視界一面緑ばかりという斬新さがいつまでも目立つ。
田舎暮らしもいいよな、なんて少しはにかんでいる自分がいる。
当分ここで創作活動をしながら暮らすことになるだろう。
今心にある温かな感情を大切に、じっくりと歌や本といった作品に仕上げて生きたい。
窓からマイナスイオンの風が頬を撫でた。
急に残りの人生が短く思えてきた。
よ~し集中するか~
その前にチョコレートでも買いに行こう。
でも止めよう。
だって近くのコンビニまで20キロあるのだから…
POSTED DATE : 2010年4月27日
インド写真展~マザーハウスとブラザーたちの家~
POSTED DATE : 2010年4月16日
インド旅行を終えて
みんな元気マウンテンかい?
インド旅行から帰ってきてちょうど一ヶ月。
日本に帰っても僕はまだ旅を続けている。
まずは日本に到着したばかりの成田空港からここまでの動きと今の心境を書いてみようと思う。
成田空港到着後、そそくさと入国審査を抜けて出てきたというのに僕は出口近くのベンチに座って固まっていた。
そういえば家ないじゃん…
出発前、僕は4年間住み慣れた東京杉並区の部屋を解約して旅に出ていた。
出口を目の前にして一歩も動けない。
流れるように去る帰国客の姿をぼーと眺めながらいいアイデアはないのかと頭をフル回転させる。
しかし所詮インド帰り。家がないというよく分からない状況をまだインドタイムでぽわ~んとなった脳に理解させるには無理があった。でも慌てることはなかった。ここから1ヶ月、僕にはしっかりとしたプランがあった。それは
インドを見る感覚で日本を見てみるシーズン
それからというもの関東、関西と知人宅を訪ね歩き、誰もつかまらない時はネットカフェで過ごすという
晴れ時々ネットカフェ
そんな毎日が続く。
二ヶ月インドで生活していたおかげでちょっとやそっとのダーティーは気にならず、公園やネットカフェ、窮屈な深夜バスも快適に過ごすことができた。今は徳島県にいて、全国行脚の時お世話になった塾の一室で居候させてもらい、夜やって来た小、中学生にインドの話をしたり、歌を歌ったりして過ごさせてもらっている。
さて本題だが、インドを見る感覚で日本を見る途中結果を少しだけ生意気に語らしてもらう。
そもそもインドと日本を比べてはいけないのだが、インド帰りだけにおかげでよく見える。
道路も歩道も公共の場も綺麗だし、静かだし、サービスいいし、マナーいいし、食べ物おいしいし、電化製品は揃ってるし最先端だし、東京はほぼ電子マネー化でピッピッピーでキラーパスだし、効率いいし、トイレットペーパーあるし、夜街灯あるし、もう挙げればきりがないくらいすべてがパーフェクトで悪い所なんてひとつもないんだと思う。
ただひとつあげさせてもらうならばインドは貧しい人でもハッピー感があったのに対して日本は…
やはりこの国のハッピー感の少なさに尽きるのではないだろうか。
こんなに住む環境が飛躍的に豊かになっている国なのに心の豊かさが比例していないように思う。
なぜだろう?
僕は深夜のネットカフェで真剣に考えた。
でもすぐに答えは出た。それは単純に
休んでいない
という答えだった。
この国の人たちは休んでいなくて
疲れていた。
お父さんは仕事に追われ
お母さんは子育てに追われ
子供たちは勉強に追われ
時間に追われ
競争に追われ
周りに追われ
笑顔を失っていた…
実際僕が見た日本人で笑顔だったのは酒で酔った人々だけだった。
それが日本なんだ、お前はいいお気楽ものだなと言うかもしれない。
しかしよ、父上!
あなたも休まないといけない。
あなたは今ある景色や家族や職場は当たり前になってしまってもう喜べなくなってしまっている。
心からゆっくり休んでほしい。
海や川や山を見て、草や花や木々を見て、自然の中で自分を見て、ゆっくり休んでやさしさや思いやりの感情を思い出してもらいたい。じゃないと
この国の人々は
同じ国の人々が痛んでいても
誰も気づこうとしない
そんな国、一番悲しすぎるよ。
僕はもう少し日本を見てみるシーズンを続けたいと思う。
NEXT IS 「インドの写真展~コルカタ編~」
POSTED DATE : 2010年2月1日
マザーハウス
到着するとテニスコートくらいの大きさの庭がありそこで障害者たち30人がまだ柔らかい午前の日差しを楽しんでいた。ナマステーと大声を出し僕は手を振る。みんな眩しそうに手を振り返してくれる。
マザーハウスからバスを乗り継ぎ一時間。
ここはナボジボンというブラザーたちの家、男だけのボランティア施設。
足を引きずりながら走ってくる青年、車椅子に座っていながらも全身を動かし喜ぶ少年、ピクリとも動かない子、ダンボールを口に銜えブーブーと言いながら走り回っている子、障害は人さまざま。
ちょっと待っててと僕は急いで二階に上がりボランティア専用の貴重品棚に荷物を置いた。
喜んでくれるかな、アビー…
ポーチからイヤホン二個とデジカメと取り出す。
今日は僕にとって特別な日。
アビーとの約束を守る日、そして最後のボランティアの日。
ようやくみんなに顔を覚えてもらい緊張も解れだした頃に僕は去ってしまう。
昨夜ベットの上でもう一週間いようかと散々悩んだが逆に離れづらくなると思い今日の強行突破に踏み切った。じゃないといつまででもいれそうで恐かった。
キキキーキキー!!
イヤホンを見せるとアビーの声が一段と高くなりザモウストフォルテッシモの音階に到達した。
同時に視界いっぱいの笑顔が僕を包み僕は強く抱きしめられていた。
キキーキキキキーーー!!
OK!OK!!!
キキーーキキーーキキキ。キーキキーキキキキー!
REARY?
キキーキキキーー
Im Happy, too!!!
なんで通じているんだろう。いや、本当は通じ合ってなんかいないのかもしれない。
しかし両手と声のトーンだけで僕たちは十分だった。
3日前、マザーハウスで聞いた日本人シスターの話を聞いた。
マザーテレサがまだ生きている時も彼女はいたという。
愛は家庭から始まる
まずは小さなことから愛を示しなさい(おはよう、ごちそうさま、いってきます、ただいま、おやすみ…)
痛いということまで愛しなさい
周りの人の苦しさを知りなさい
自分の国に帰ったら自分の国でカルカッタを見つけなさい…
心にジーンと響いた。
時代を超え語り継がれるマザーテレサの言葉とシスターの心が重なり合ってそこにいた6人の日本人は異国の聖地で涙した。
このマザーハウスで僕が見たものは障害者たちの心の中だった。
彼らは必死で闘っていたのである、自分自身と。
どんなに話せなくても
どんなに歩けなくても
どんなに世界がなくなろうとも
太陽とともに強く起き、大地に根を張って、生きていた。
もしも彼らから僕たち日本人にメッセージがあるとすれば彼らはきっとこういう言葉を残すだろう。
今の環境を、今の家族を、今の自分を
幸せだと思ってほしい
POSTED DATE : 2010年1月18日
インドへ②~理由~
急にどうしたんインドって?
なんかあったん?
友達の何人かに言われた。インドっていう国のイメージはどうしてこうもダークなんだろう。
もちろん生きているのだから悩み事や不安事はいっぱいある。
三十半ばになると自分の理想に近づけているのかどうか冷静になる瞬間がある。
このままで大丈夫か…
一旦そう考え始めたら結構な日数を引きずってここぞとばかりに得意げな顔をした常識たちが襲ってくる。
流されそうになる気持ち、このままではいけないと思う気持ち、自分と葛藤し続ける毎日。
でもある程度、悩み尽くしたら突き抜ける。
シータとパズーが嵐の雲を突き抜けて発見したラピュタようにそこには自分だけの聖城がたたずんでいる。
自分だけの心の木。
自分の素直な気持ちでできたピュア1000%のビッグトュリーが僕を見下ろし話しかけてくる。
あなたの信じた道を行きなさい
それが一番後悔しない
僕はハッとなってこみ上げてくる思いのままおもいっきり泣いた。
恥ずかしながら入院前にそんなことがあった。
登っていこうとも登れない、こんな時代だからこそ
正直に生きていこうじゃないか。
来月大型の休みが取れるので旅行したいのだけど
将来何があるか分からないのでここは我慢し貯金しておこう…
正直に旅行していこうじゃないか。
突然明日死ぬかもしれない。
15年前の阪神大地震の映像を見るとなおさら思う。
僕はこれからインドへ行ってくる。
全国行脚をした正直な気持ちのまま、そして
震災が起きたあのときの19歳の気持ちのままで…
NEXT IS… 『インド行脚①/コルカタ、マザーテレサの愛』
POSTED DATE : 2010年1月18日
インドへ①~きっかけ~
ポールは突然ですがインドへ行ってきます。
実は去年、深夜の入院中のベットの上で激痛に耐えながらなぜか地雷踏んだ子供たちの映像が頭に浮かんで
こんな痛み鼻くそなんやろな…づきんづきんもっと痛いんやろな…
と思っていたら急に自分が情けなくなり、涙が溢れ
あかん、生温いわ俺…
となって
心にマウンテンが足りないんじゃないのか
となり
地球ナンバーワンマウンテでも見て、マウンテン修行へいかなあかん
となり
目指せネパール!
となった。
そんなひょんな動機だがそう思った瞬間から痛みが吹っ切れ
心ワクワク
命キラキラきらめいた。
ちょうど二年前に周った全国行脚の旅本の執筆活動も心からの表現を探し壁にぶつかっていた。ならばネパールの下のインドでも放浪し空を見つめ、星を見つめ、自分を見つめ、未来を見つめ、湧き出てくる本当の言葉を探しに行こうと思った。インドと行ったらガネーシャだの、サイババだの、ムトゥーだの思い浮かべるが、僕は入院中ってこともあってなぜか
マザーテレサ
だった。
脳裏にある映像が流れ溢れる。
一人、そしてまた一人…
その時歴史は動いたの番組のテロップ…
そうだ、あの少年はNHKの番組で見たあの映像か!
入院中痛みを堪えながら見た少年はインドはコルカタにあるマザーハウスでベットの上で寝込んでいる少年の映像だったんじゃないのか!ん~~
ハッピ~パンプキン♪
食べた気分になった(笑)
マザーハウス、間違いなくパワースポットなんだろう。
今探している最も大切な言葉が見つかりそうな予感…
燃えよバーニングハート♪
思い出す全国を周ったあの気持ち、願い、パワー、出会い、祈り…
よし!決めた(ハート)
退院後すぐに航空チケット店にテレフォン。しかし…
ドューユーハブ
マネー?
僕にはイナフマネーがなかった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
昨年秋、深夜手術を終えたばかりのベットの上
この痛みの何百万倍ものダメージを背負って生きている人の心とは一体…
インド、コルカタにあるマザーハウスの少年たち、老人たちの映像が飛び込む
恐縮だけど実際に行って見て触れてみたい
痛みと闘いながらも
生きていくパワーを!
僕はインド行きを決めた。
でも
金ない…
頭をひねる。
まずバイクを売ろう
昔調子乗って買った時計を売ろう
売れそうな家具、電化を全部売ろう
そうなったら
今のアパートを解約してささやかながらの資金リターンに期待しよう(ハート)
となりドラクエ的にいう捨て身の攻撃みたいなパターンで旅に出かけるポールです汗
しかし
日本帰ったら家なしボーイ…
ここでみなさんにお願いがあります。
このコラムを見ているってことは何かの縁と言うことで
深く深く頭を下げて言わせて下さい
Are You Kind?
もしもあなたがカインドならば(インドだけに!)
帰国後あなたの家に泊めさせていただけませんか?
(;´・`)♪
メール待ってます(笑)