POSTED DATE : 2012年4月19日
登下校のピカピカ新入生
北陸はようやく満開の桜咲く美しい季節になりました。
あちこちで登下校のピカピカ新入生に出会うと思わずエールを送っている僕がいます。
きっと彼らは入学から今日まで、先生、親、友達と共有した時間を過ごした分だけ成長したんだろうなあ~ 絆も深まったんだあろうなあ~と思ったりします。
そのドキドキ感、不安、緊張、自信のなさ、だけどあふれる希望…
入学時のフレッシュな気持ちを持ち続け目と耳と口を使ってこれからの学校生活を送って欲しいと思っています。
Don’t forget your original intention.
初心忘るべからず~♪
POSTED DATE : 2012年4月9日
桜咲く合格マウンテン
実家能登のU中学校で昨秋人権講演をしました。
その後、学校側から朝が苦手で登校拒否ぎみのM君にあってくれないかという相談を受けました。
僕はできるだけ時間を見つけ、M君と一緒に給食を食べたり、しゃべったりして会っていました。
またM君との共通話題はゲームでもありました。
M君は170CMくらいでしっかりした考えを持ち、ナイーブな、笑顔の優しい中学生でした。
僕は三回目に、自分の経験から人生最初のステージ、高校進学の話をしました。
ハイスクールライフ
僕はその響きに憧れた一人でした。
長い人生の中でできれば経験してみたいステージです。
M君はできれば行ってみたいけど、自分には自信がないとも言いました。
僕は小学生時代、勉強が嫌いな子供でした。
中学生に入り、なんとかみんなに勝ちたいと思いました。
そこに新たに入ってきた教科が英語でした。
『英語だけは負けないぞ!!』
猛烈に英語の勉強を始めました。
その甲斐もあり、苦手教科もカバーでき、高校進学、さらに大学へも行ったという話をしました。
何かひとつ強い武器を持つ
M君に聞くと、国語と社会は好きだと言いました。
国語と社会の参考書と 筆書きの「合格マウンテン」ポストカードを入れて渡しました。
3月20日。
M君から合格したと、感極まる声で連絡がありました。
やったぞM君!
M君の学校生活、高校進学に一丸となって、真剣に取り組んでこられた先生方に感謝の気持ちを忘れず、高校生活を送ってほしいとエールいっぱいです。
そして今日は、高校入学式。
M君、約束した合格祝いの中華料理をごちそうするからね。
POSTED DATE : 2012年4月1日
心の教育として石川県内学校(小・中・高)に配布
心の教育推進協議会(石川県教育委員会事務局生涯学習課内)、ラジオかなざわ企画番組「いしかわ夢広場」を収録したCDが2012年3月29日に石川県内の全小中高450校に配布されました。
昨年11月に出演した時の音源そのままのCDと話した内容はテキスト化されて
今年度の学校教材として使用される運びとなりました。
医療、スポーツ、芸能、などの多才な分野で活躍する6人のメンバーの一人として選ばれた事はこの上もない誇りです。
いじめ撲滅、自殺反対、いつも心にマウンテンを掲げて教育現場や社会教育で訴えて来た今日までの自分への大きな自信ともなりました。
活動7年目の今年は出来るだけ多くの学校を回り1人でも多くの若者たちに元気や勇気、そして前へ向いて進んで行く力を歌やダンスをまじえてのトークで訴えて行きたいと決意も新たにしています。
学生の皆さんへ
祝!卒業
祝!入学
祝!進級
何事も始めが肝心。
君ならどんな目標を企てるのかな?
いつも心にマウンテン
POSTED DATE : 2011年12月11日
いじめ「覚えてない」に激高 被害児童の父が殴打
今住んでいる石川県でいじめニュースがあった。
いじめられた子の父親が学校に乗り込み、いじめた子を殴ったというニュース。
父親の気持ちが分かり過ぎるだけに辛い。
『石川県内灘町の小学校で10月下旬、長女がいじめを受けたとして訪れた50代の父親が、同級生の男児の顔を殴ってけがを負わせていたことが分かった。
町教委などによると、10月27日の1限目の授業中、父親が突然教室に姿を現した。「いじめを受けている子どもの気持ちをわかってほしい。子どもたちに話をさせてほしい」と申し出、担任の了解を得て教室に入った。
父親はいじめを問いただそうと複数の児童に迫り、「覚えていない」と答えた男児に激高。担任の制止を振り切り、顔をこぶしで6回殴った。男児は鼻血を出し、病院で手当てを受けた。学校は保護者説明会を開き、事情説明した。
学校によると、いじめを受けたとする女児は一学期末に登校すると、自分の机が前後逆向きになっていたことなどを理由に、二学期から約1カ月不登校になった。
母親が終日教室の後ろで見守ることで10月17日に学校に戻ったばかりだった。
父親は本紙の取材に対し「(男児が)憎かったわけではなく、学級のいじめ解決のためにやむなく殴った。担任の対応や学校の調査に強い不満があった。子どもを殴ったことは申し訳なく思っている」と話している』
子供は親の宝物だ。
大切に育ててきた我が子が、日に日に元気をなくし、大好きだった学校に行かなくなっていく様子は親としてはどんな心境だろうか。いじめられた現実を知ったとき、どう思っただろうか。
その怒りを学校側がどこまで理解できていたんだろう。
何故こんな大事件になるまで放置されていたんだろう。
たぶん学校側も子供たちも、そして被害者の家族も、今いたたまれない心境にあるんだろう。
いじめ問題は根本の部分から考えていかなくきゃいけないんだと思う。
POSTED DATE : 2011年11月28日
富山で中2が自殺
富山県射水市の市立中学校2年の男子生徒(14)が自宅で首をつって自殺していたことが27日、県警の取材で分かった。
まだ事件は謎に包まれているが分かっている事実関係で彼の心境を追ってみようと思う。
彼は25日の金曜日は普通に学校に登校していた。
その前日の24日は担任の先生にも相談していた。
それを聞いた先生はその日にいじめっ子に口頭で注意した。
しかしこの土日、48時間で、彼はこの世を去る決意をし、実行した。
ポイントは彼が25日に学校へ登校していたということだ。
この25日の金曜日に彼の人生の分かれ道があったと思う。
彼は24日、勇気を振り絞って担任にいじめを受けていることを告白した。
これで地獄の日々は終わるだろうと思った。
しかし、25日登校してみると、現実は違っていた。
彼は更なる恐怖を宣告された。
この瞬間、最後の砦だった信頼ある先生の助け舟も無常に終わり、この世を去る決意をした。
ここで僕は思うことがある。
誰か1人でも彼に声をかけてあげる人がいなかったのか?
一緒に帰ろうとか…
私は味方だからとか…
その一言で彼はまだ生きようと思ったかもしれない。
なぜ誰もいなかったのかが僕は一番悔やまれる。
POSTED DATE : 2011年8月31日
中学2年の男子生徒が飛び降り自殺 いじめか 札幌
残念なニュースが飛び込んできた。
8月30日午前9時5分ごろ、札幌市手稲区のマンション(9階建て)屋上から、市立前田北中学(生徒数202人)の2年の男子生徒(13)が飛び降り、全身を強く打って間もなく死亡した。遺書などは見つかっていないが、北海道警札幌手稲署は自殺とみている。生徒は学校でのいじめを周囲に相談しており、同校はいじめが原因の可能性もあるとして調査している。
飛び降りたマンションの壁には「ここから飛び降りて死ね」という落書きが書かれていた。その10m離れた場所で彼はこの世を去る決意をした。
わずか14年の人生…
一度逢うことができていたならば、エールを送れたと思うと悔しくてならない。またクラスメートの誰か一言でも声をかけてあげれたならば防ぐことができた命だと思う。周りにいる僕たちができることをしてあげたい。
POSTED DATE : 2011年8月18日
ステージを終えて…
夜9時過ぎ。
ステージを終えて着替えをし、公民館の玄関から車へ荷物を運ぼうとしていると、中学生くらいの女の子たちからサインをお願いされた。ありがたいなと思って一人一人名前を聞いて書いていると、私も僕もという流れができて、気づくとちょっとした列ができていた。そんな時だった。
「登天ポールさん!」
玄関から50歳くらいの女性が先日出版した本を手に近寄ってきた。
祭り客だろうか、いや、それにしても今到着したような息遣いをしている。
宛名は○○子でお願いしますというので書いて渡すと、さらに震えるような声で言った。
「一言書いてもらえないでしょうか…」
その時僕はハッとした。
苦しんでいる娘さんがいる…
僕はがんばれマウンテン!と書き、その下に星が飛び出したしあわせマウンテンの絵を描いて渡すと、ありがとうございますと言って泣いた。
子供たちの輪を切り裂き、泣きながら去っていく彼女の後姿を僕はただ呆然と見送った。
帰りの車の中で、あの後姿が何度も脳裏をよぎる。
本を買ってくれて、持って来てくれて、こんな嬉しいことはないというのに、一言かけてあげれなかった悔しさばかりが残った。
なぜあの時、言葉が出てこなかったのだろうか…
今なら分かる気がする。
そこには言葉にならない「命」があったからなんだと。
POSTED DATE : 2011年7月23日
本を出版して思うこと
こんな気持ちは何年ぶりだろうか。
もう自分では何度も何度も読み返し分かっているはずなのに、
あの日、あの時の感情がドンストップで始まって、また興奮してしまう。
思わず閉じて冷蔵庫へ行った。
麦茶を一気に流し込む。
右心房左心室にも浸透していく。
ふう~ 長かったぁ~
話を頂いてから約4年かかった。
途中、言葉が浮かばず書くのがイヤになった時期もあった。
東京のすべてを捨ててインドへ行った。
でもそれが良かった。
あとはホワイトキャンパスに咲いた命の花言葉を摘んでいくだけでよかった。
ふう~ 体力いるな~この本…
もう一度開く。
写真の中のみんなの笑顔、ナイスマウンテン!みんなありがとう。
ほんとは出演してくれた一人一人に一冊一冊のしをつけてプレゼントしたいのだけど、大人の事情がありまして…
それにしても
あのときの君はもう中学生になったのかな。
あのときの君はもう社会人になったのかな。
あのときの君はもう結婚して子供を生んだのかな。
奥能登から 愛を込めて
very kansya!!
POSTED DATE : 2011年5月12日
上原美優さん自殺
モーニング。
朝起きてヤフーニュースを見たら上原美優さん自殺のトピックスがあった。
誰かなとクリックすると、右上の「charger」バナー広告に出ている女の子と
同じ人だった。
「上原美優の恋人写真」
早く消さなきゃこの広告と思った。
そして冷静に彼女の写真を見た。
笑顔で語りかけているそのこの子が死んだ。しかも首吊り自殺。
まだ24歳の愛らしい表情にどうリアクションしたらいいか分からなかったが、次第に無念さが広がる。
理由を探したが、恋愛できないだとか、みんなハッピーになっていく中で自分だけ取り残されていくようだとかなんだとかで、自分が納得するようなものではなかった。
次に怒りのような感情が沸いてきた。
大家族だったらしいが、残された者への悲しみ、苦しみ、一生背負わされる悲しみを、知っているのか。
僕は全国行脚の時、京都で若くて自殺されたという父親と出逢った。
一番辛いのは遺族なんだよ…
彼は自分まで責めていた。
もっと俺が気にかけていたらならば…
京都駅前の人通りが多い中、彼は声を荒れにして、初対面の僕に心内を明かした。
話し終え、空を見上げた彼の目に一生消えないであろう悲しみが伝わってきた。
この世で一番の悪は親より先に死ぬことだと思う。
僕は若くて自殺する人が増えている日本の社会そのものに疑問を投げかけざるおえない。
今日はバットモーニングです。
POSTED DATE : 2011年3月29日
3月28日死者・不明2万8000人超
大変な時期です。
3月11日金曜日、テレビ画面の中に大惨事が映し出されました。
マグネチュード9.0という東日本大震災。
巨大地震の上に大津波が加わり、そのうえ原子力発電所の危機までもが加わった
まるで地獄絵図のような光景でした。
僕は何度もまばたきをして、画面に向かって「夢であってくれ、どうか夢であってくれ」
とひたすら思いました。がそれは夢ではなく夢よりも厳しい現実でした。
瓦礫の山となった村、爆撃のあとの様な街でした。
僕は16年前、19歳の時に阪神淡路大震災を経験し強く感じた事があります。
それは物に対する虚しさです。家は倒壊し物はこわれてしまう。
形あるものへのなんとも言えないむなしさです。
そんな中、なにより心の支えとなったのは人と人との絆でした。
それは遠く忘れかけていた友達からの「大丈夫かい?」と言うⅠ本の電話だったり、
街に出ると子供やお年寄りを常に優先した「頑張って」「有難う」と交わされる言葉のキャッチボールでした。その中でも特に
「あなたは1人じゃない。私達みんな心を寄せて、祈っているからね。
どうか心を強く勇気を持って生き続けて」
と言うメッセージでした。
独りじゃない
僕は涙がでそうになりました。
そうだ1人ではないんだ、誰かが見守ってくれているんだ、応援し祈ってくれている人がいるんだと言う安心感からくる心の支えは明日への希望でした。
2006年秋、いじめが社会問題となった時何とか励ます事が出来ないかと思った。
4人目の自殺者が出た時僕はいてもたってもいられず白地に黒い文字で「いじめ撲滅」、「自殺反対」、そしていつでも目指す場所を忘れないでという標語、「いつも心にマウンテン」を書いて渋谷の路上にとびだしました。
その時の僕を強く突き動かしたもの、― それは
「1人ではない、」と言う震災の時にもらった言葉でした。
「君たち1人ではない。まず僕が応援するから」 と言う
1つの熱く強い信念だったのです。
どうか皆さん、今こそ日本人として繋がっていきましょう。
「あなたは一人ではない」という言葉で。